内村航平の落下は「魔物」の為せる業だったのか

発行:文藝春秋 初版:2012年9月15日 定価980円(税込)

柔道の高藤直寿(男子60キロ級)の金メダル第1号、渡名喜風南(女子48キロ級)の銀メダル獲得というニュースに押しやられた感はあるが、それでも男子体操の〝キング〟内村航平の予選落ちはショッキングな出来事だった。
しかも、種目別の金メダルを狙い、これ一本に絞っていた鉄棒で、難度の高い離れ技ではなく、確実に決められるはずの捻り技で落下したという事実が、多くの日本人に受け入れ難い落胆を感じさせたように思う。

2012年のロンドン五輪で、私はSports Graphic Number PLUS(文藝春秋)のムック『ロンドン五輪永久保存版 Hero’s Moment LONDON 2012』を編む仕事に参加した。
4年前の北京五輪で惜しくも個人総合2位に終わっていた内村は、このロンドン大会でオリンピックにおける初の個人総合優勝を果たし、この本の表紙と巻頭インタビューを飾っている。

当時、内村はオリンピックでの試合をよく「魔物との戦い」だと表現していた。
このロンドン五輪のインタビューでも、聞き手の矢内由美子氏とこのようなやり取りをしている。

「予選、団体決勝、個人総合、最後のゆかと、試合をやるたびに、襲ってくる魔物を倒したいという気持ちだけでやっていたような感じです。(中略)
大会中に友人から届いたメールにも『頑張ります』ではなく、『魔物を倒してきます』と返信していたほどです」

その魔物は自分の長所を崩しにくるのですか、弱点を攻めてくるのですか?

「何て言えばいいんだろう……もういけるだろうというときに来るんです。(中略)
いつもなら、大丈夫だと思ってからはスッといけるのですが、五輪はそこに何かがあって、そこを突かれた」

今回の東京オリンピックで落下したいま、内村自身の言葉を振り返ると、いずれは魔物に突き落とされる瞬間が訪れるだろうことを予感していたようにも思える。
内村はきのうの試合後、自身の引き際について、こう語った。

「体操を僕が永遠にやめないかもしれないじゃないですか。
別にいつ引退するとかって特に考えていないし、引退することが終わり方の正解かっていうと、僕は違うかな、と。

(女子レスリング五輪4連覇の)伊調(馨)さんも『引退します』って言っていないし。
競技が僕は好きなので、形的には引退している感じでも、別に引退宣言とかってする必要あるのかなって最近、思っていますね」(東スポWeb 2021年7月24日18時29分配信)

すると、内村がふたたび、オリンピックで「魔物」と戦う日は来るのだろうか。
それをいま、安易に予想することは控えたい。

ちなみに、このムックで僕が取材、執筆したのは水泳と柔道でした。
どちらも早くも金メダルを獲得し、好発進しているだけに、これからも期待して見守りたい。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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