東京オリンピックの競技初日は男子体操の内村航平が鉄棒からまさかの落下で予選落ち。
ウエートリフティング女子49キロ級の三宅宏美も初戦で敗退し、かつて日本国民に感動を与えた馴染みの深いアスリートたちが、そろって初日に姿を消した。
僕が個人的に延々とライヴ配信映像をチェックしていた男子自転車ロードレースは、新城幸也が35位(6時間15分38秒)、増田成幸が84位(6時間25分16秒)。
もっとも、この競技は世界レベルとの差がまだまだ大きく、チームとしての戦略を立てようがないふたりだけで出場した新城も増田も、全130選手の中でよく健闘したほうだと思います。
きょうの白眉は柔道で、まずは女子48キロ級の渡名喜風南が銀メダルを獲得し、日本人のメダル第1号となった。
しかし、準々決勝でパレト(アルゼンチン、2016年リオ五輪金メダリスト)に腕ひしぎ十字固めで一本勝ち、準決勝で長年のライバルのビロディド(ウクライナ)を熱戦の末にくだしていただけに、あそこまでいったら決勝も勝って金メダルを獲ってほしかったところ。
ではあるけれど、それは畳に背を向けて号泣していた渡名喜本人が一番痛感していたことでしょう。
1体1の格闘技における銀メダルは負けて与えられるものなので、うれしさなどは微塵もなく、その悔しさたるや一生引きずるほどらしい、と2012年ロンドン五輪の際にも柔道選手に聞いたことがあるもので。
金メダル第1号は男子60キロ級の高藤直寿。
準々決勝も準決勝も延長戦までもつれ込み、肘を痛めたようにも見え、決勝でまたも延長戦に突入したからどうなることかと思ったけれど、粘り強く戦った末に泥臭く反則勝ち金メダルをもぎ取った。
高藤、渡名喜両選手、おめでとうございます。
メダルの色が何であれ、きょうの結果をこれからの人生の糧にしていただきたい(やや原辰徳的表現)。
ところで、開会式に聖火ランナーとして登場した長嶋茂雄さんの姿は、僕個人としては大変痛々しく感じられた。
松井秀喜氏に介添してもらい、あの短い距離なら歩くことは可能だと、ご本人が請け合ったことで実現したそうだが、かつての明るく元気なミスターを知る人たちの中で、あの姿を見られてよかった、と思った人が何人いたか。
今朝、長嶋さんと親しい方にLINEで連絡を取り、最近のお加減について聞いたら、「それは大丈夫だよ」と答えながら、忿懣やる方なしといった調子でこう付け加えた。
「なんであんなところにあの3人を出すんだ。頭にきてテレビを切って寝ちゃったよ」
SNSのタイムラインを見ても、同じような怒りを表明している年配のファンの声が多い。
ただし、長嶋さんと付き添った松井氏、トーチを持った王貞治さんが利用された、という主張には違和感を覚える。
長嶋さんはオリンピックが本当に好きだ。
2度目の巨人監督在任中、夏季は1996年アトランタ、2000年シドニー、冬季は1994年リレハンメル、1998年長野と4度大会が行われたが、いずれも開催期間中は毎日のようにオリンピックの話ばかりしていた。
どうしてそんなにオリンピックが好きなのかと聞いたら、「それはもう、オリンピックですから、ええ」。
大体、冬季ならキャンプ中、夏季なら試合前、選手たちの練習などろくすっぽ見もせず、報道陣とオリンピック談義に興じていることも珍しくなかった。
だから、ああいう状態になっても聖火ランナーとして声がかかったことを、長嶋さんは心底喜んでいたと思う。
実際、トーチキスが行われた次の瞬間、オレンジ色の炎を見つめる長嶋さんは本当にうれしそうだった。
それでも、僕が長嶋さんの姿を痛々しく感じたのは何故なのか。
以下、週刊誌と新聞に一度ずつ書いたエピソードを、ここでも再録します。
ある日のこと、僕が東京ドームのグラウンドに行くと、すでに練習が始まっているのに、長嶋さんの姿がない。
前日に長嶋さんが「しっかり練習を見ますよ」と言っていたことを覚えていたので、「相変わらずいい加減な人だなあ」と、毒づいていたその時である。
不意に、後ろから誰かにカカトを蹴飛ばされて、引っくり返りそうになった。
びっくりして「うわっ!」と声を出し、誰だ、危ないじゃないか! と思いながら振り返ったら、長嶋さんが目を細めてにっこり笑っているじゃありませんか。
「元気?」
「あ、はい、元気です」
「うちの連中、練習してる?」
「はい、練習してます」
「おお、やってるねえ、やってるやってる」
そう言いながら打撃ケージに近づいていった長嶋さん、途中で「ミスター!」と土井正三さんに呼び止められ、やはり練習を見ないで球界OBの方々の雑談の輪の中に入っていってしまわれました。
誰しも年を取るのだから当たり前のことではあるけれど、いまの長嶋さんが、あの時の長嶋さんに戻ることはないんだなと、ゆうべの姿を目にして改めて感じた次第です。