元中日、日本ハムの大島康徳さんが6月30日に70歳で亡くなっていたことが、きょう明らかにされました。
先月、大腸がんが肝臓に転移し、入退院を繰り返していることを自身のブログで報告されていたので、来るべきときが来てしまったか、という思いでいる球界やマスコミの関係者は多いはず。
僕もある程度予期していたとはいえ、いざ現実に亡くなられてみると、70歳という年齢はあまりに若い。
とくに大島さんの場合、現役時代はどちらかと言えば、頑丈、強面、豪放磊落なホームランバッターというイメージが非常に強かっただけに。
僕が初めて大島さんを取材したのは、1990年2月、鴨川で行われていた日本ハムのキャンプ。
そのとき、自分で撮った写真のプリントを見て改めて思い出したのですが、大島さんの背番号はのちにダルビッシュ有、大谷翔平に受け継がれる11番だった。
僕が取材で訪ねた日、鴨川はあいにくの雨で、練習はもっぱら室内練習場やトレーニングルーム。
大島さんはウエートトレーニングに一際熱心で、チームメートのベンチプレスに手を貸したり、僕たち記者にもダンベルや鉄アレイをつかませて使い方を教えたり。
練習の合間には若菜嘉晴さん、角盈男さん、柴田保光さんら同世代のベテラン選手と冗談を飛ばし合い、雨でいまひとつ盛り上がらない一日を和ませてくれたものです。
当時は残念ながら、野球に関してそれほど深い話を聞くことはなかったけれど、のちに解説者や監督となってから、大変緻密な野球観、豪快なイメージとは裏腹に繊細な性格の持ち主であることを知りました。
いまごろは大島さんが尊敬していた星野仙一さんと天国で野球談義をしていることでしょう。
謹んでご冥福をお祈りします。