スタンリー・キューブリックは生前、極端なまでのインタビュー嫌いとして知られ、記事も映像もあまり残されていない。
それが、キューブリックがいまだ神秘のヴェールに包まれた〝謎の名匠〟としてファンや研究家の興味を掻き立てている理由でもある。
そうした中、単独インタビューに成功したフランスの評論家ミシェル・シマンが、キューブリックの肉声を収めた貴重な録音を初公開。
キューブリック財団監修の元、3カ国が共同制作した本作では、このキューブリック自身の証言をベースとして、彼が残した代表作の成り立ちを改めて検証している。
まず興味深いのは、映画を撮る動機について、「正直、私自身もわからない」とキューブリックが語っていることだ。
「自分の思考プロセスを定義するのはとても難しいこと」であり、「どのストーリー(原作、原案)を映画にするというのは、なぜその女性を妻にしたのかと同様、簡単には説明できない」という。
しかし、あるストーリーに魅力を感じ、これを映画化すると決めると、徹底的なリサーチを行い、自分自身がイメージするリアルさを追求する。
『スパルタカス』(1960年)では奴隷同士の決闘の構図、『時計じかけのオレンジ』(1971年)ではレイプシーンの生々しさ、『バリー・リンドン』(1975年)では18世記のヨーロッパ社会における貴族の衣装、蝋燭と自然光による夜の明るさと空気の色合い、などなど。
ベトナム戦争を描いた『フルメタル・ジャケット』(1987年)では、当時戦場となったフエやサイゴン周縁部の写真をチェックし、1930年代の機能主義の建物が多いことに着目。
自分が住むロンドン郊外に、同じ1930年代に建てられた機能主義の工場が残っていたことから、ここを戦闘シーンのロケ地とすることに決定し、ベトナムで撮影する以上にリアルな戦場を再現することができた、とキューブリックは言う。
ただ、1カ所、おや? と思ったのは、『シャイニング』(1980年)の主人公の行動についての解釈である。
キューブリックは無神論者として知られており、スティーヴン・キングの原作に登場するような悪霊の存在も信じておらず、一部メディアのインタビューに「これは一人の男の家族が、一緒に静かに狂っていくだけの物語だ」と述べている(ヴィンセント・ロブロット著『映画監督スタンリー・キューブリック』)。
しかし、このドキュメンタリーでは、「悪霊の存在は現実なのか」というシマンの質問に、「私は現実だと考えている。真実としてすべてを受け入れている」と答えているのだ。
悪霊が存在しているのかどうかを曖昧なまましているのは、自分の映画化版ではなく、キングの原作の「巧妙なところだ」とまで言っているのである。
いったいどちらがキューブリックの本心なのか、容易には測りかねるが、ひょっとしたら、キューブリック自身、明確な結論を出さないままに『シャイニング』を撮っていたのかもしれない。
なにしろ、自分が映画を撮ったそもそもの動機についてすら、「自分でもよくわからない」と言っているほどだから。
『バリー・リンドン』についてはマリサ・ベレンソン、『時計じかけのオレンジ』に関してはマルコム・マクダウェル、遺作『アイズ ワイド シャット』(1999年)についてはトム・クルーズら主演俳優が証言。
貴重な傍証となっている彼らのインタビュー内容もまた、非常に興味深かった。
オススメ度B。