帰省できなかった年の瀬、ひとりでじっくり観ていて、最も心揺さぶられたテレビ番組のひとつ。
日本で暮らす日系ブラジル人たちの歴史とドラマが描かれているのだが、通常のドキュメンタリーや再現ドラマとは異なり、イッセー尾形の一人芝居によって彼ら〝日本人移民〟の生活と心情を浮き彫りにしている。
明治41(1908)年、一獲千金を夢見た約30万人の〝日本人移民〟が、船で太平洋を越え、ブラジルに渡った。
それから80年以上経った平成2(1990)年、今度は彼らの子孫、日系ブラジル人が就職口を求めて、バブル経済末期の日本に〝移民〟してくる。
日系ブラジル人の目的は母国より高額な給与、日本企業の狙いは日本人より賃金の安価な労働力の確保にあったが、直後にバブルが崩壊。
日系ブラジル人たちは厳しい条件と環境での労働を余儀なくされ、初めて直面する日本社会での生活慣習に戸惑い、周囲の日本人の〝外国人扱い〟にも悩まされるようになる。
本作では、そうした日系ブラジル人たちの人生模様を宮藤官九郎が脚本化し、イッセー尾形が一人芝居として表現。
しかも、その一人芝居を実際に日系ブラジル人たちの目の前で演じ、彼らの反応やインタビューをも作品に取り込んで、ステージパフォーマンスとドキュメンタリーを一本のテレビ番組として融合させている。
ステージが設定されたのが、外国籍の居住者が3割を占め、大勢の日系ブラジル人が住んでいる名古屋の中駒九番団地の中庭。
新型コロナ感染拡大対策のため、距離を置いて椅子が並べられた足跡の客席へ、約100人の観客がマスク姿で詰めかけた。
イッセー尾形が最初に演じるのはこの団地の管理組合のおじさんで、テーマは日系ブラジル人がなかなか理解できなかったゴミの分別。
おじさんが「ビンを出すのはきょうじゃないんだよ、明日なんだよ」と注意したら、日系ブラジル人に「出しておけば明日になる」と言い返され、おじさんは頭を抱えてしまい、観客から笑いが起こる。
この最初の演目のあと、客席の日系ブラジル人たちにインタビューが行われ、カメラが「ゴミの分別は難しかった、わからなかった」という声を拾って回る。
さらに、実際にこの団地でゴミ出しの管理を担当している夫婦が登場し、外国籍の住民に分別について教える苦労を証言。
イッセー尾形は続いてバッテリー工場の女子工員、配管工事の現場監督と、日系ブラジル人の反応に面食らいながら、優しく手取り足取りする日本人たちを演じていく。
ここまで、3人の日本人たちが声をかける「ロベルト」という日系ブラジル人のキャラクターが設定されていて、一人芝居の連続した演目を観ているうち、ロベルトが次第に日本の社会に溶け込んでいく過程もわかってくる。
そして、ロベルトがこの団地にやってきてから30年後、コロナ禍に覆われた2019年の日本で、イッセー尾形が最後に演じるのは、ホームレスのような姿になったロベルト本人。
客席の日系ブラジル人たちはこの一人芝居に涙を滲ませ、テレビの前で観ているこちらの胸まで熱くなった。
こういう感動は、オーソードクスなドキュメンタリーや、フィクションとしての飛躍を極力抑えた再現ドラマではもたらし得ない。
それでいて、現実の日系ブラジル人たちの反応からも明らかなように、ここには確かに、彼らが日本で経験した苦労や葛藤、30年間の笑いと涙がリアルに表現されている。
イッセー尾形の一人芝居、クドカンの脚本も素晴らしいが、ニュース映像や客席のインタビューも交えて一本の作品に仕上げたアイデアが何よりも画期的。
こういう作品を観ると、ノンフィクションや記事の手法にもまだまだ再考すべき余地があるような気がしてくる。
オススメ度A。