テレビアニメの名作『機動戦士ガンダム』(1979〜80年/テレビ名古屋、テレビ朝日系列)の放送40年目を記念して制作されたドキュメンタリー番組。
2019年に地上波のNHK総合で放送された50分版が大好評を博したため、新たに取材したインタビュー映像を追加し、110分の完全保存版が昨年12月、NHK-BS1で2度にわたって再放送された。
という顛末自体、初放送ではまったく視聴率が振るわず、再放送を重ねるうちに熱狂的ファンが拡大していった、というガンダムのブレークとカルト化によく似ている。
完全保存版には、BSニュースの挟まる前後、かつてガンダムで使われていたCMの合間のアイキャッチ映像が流れるのが、オンタイムで観ていたファンには懐かしくもうれしい。
インタビューに答えているのは原作・総監督の富野由悠季、アニメーションディレクター・安彦良和、テクニカルデザイナー・大河原邦男、アニメーター・板野一郎ら、いまやアニメ界の重鎮となったメインスタッフ。
加えて、アムロ役・古谷徹、ララァ役・潘恵子、シャア役・池田秀一など、主要キャラクターを演じた声優も登場する。
1979年の初放送時、制作会社のサンライズはまだ弱小(というよりいっそ零細)プロダクションに過ぎず、製作費も限られていた。
そのため、登場人物やモビルスーツに「影」ひとつ付けるのにも大変な苦労を強いられた、という安彦の証言が興味深い。
当時のテレビアニメは手描きの絵が「仕上げ」と呼ばれる彩色スタッフに回され、そこで影が付けられる、というのが通常の作業工程だった。
しかし、サンライズでは使える色が限られているため、安彦は「仕上げ」に影を付けることを拒否されてしまう。
そこで、当初ガンダムに影を付けないで放送したところ、ほとんど真っ白で立体感や迫力に乏しい、という以上に「無惨」だった、と安彦は言う。
そこで、ガンダムの立ち位置や動きに関係なく、常に同じ部分に同じ灰色の影を塗る「面影」が付けられることになった。
その影を付ける前後、放送当時のビフォー&アフターの画像が出てくると、なるほど、影がアニメの見映えに重要な役割を果たしていることがよくわかる。
「仕上げ」はアニメーション制作会社にとって、言わば下請けであり、大手ならこちらが上の立場で「やれ」と言えるのに、このときは「お願い」をして面影を付けてもらわなければならなかった、と安彦は振り返る。
安彦はこのときすでに、『宇宙戦艦ヤマト』(1974〜75年/読売テレビ)で華々しい成功を収めていた。
三百数十色の色が使えたヤマトに比べて、ガンダムは当初79色、安彦が無理を言って3色増やしてもらい、やっと82色で制作していたというから、当時のサンライズがいかに貧乏所帯だったかがよくわかる。
なぜこんな話が印象に残ったかというと、僕自身、初放送時、すぐのちの再放送時にガンダムを観ていて、画面全体を覆っている抜きがたい安っぽさがずっと気になっていたからである。
実際、初めて観たガンダムは、世界観は斬新、ストーリーは画期的、キャラクターにも奥行きがあり、声優たちも熱演している、にもかかわらず、肝心の画面は発色が悪く、しょっちゅう線がかすれ、色が褪せた昔の漫画雑誌のカラーページのようだったのだ。
いったい何故だろうと、このトシまで飲み下せなかった喉のイガイガのような疑問が、本作を観てやっと氷解し、胃の腑へ落ちていった。
視聴率が低迷し、全52話の予定を43話で打ち切られることになった終盤には、安彦が病に倒れてしまい、本職のアニメーターではない富野の原画が描き直されずにそのまま放送され、「いまでも観ていられない」と吉野自身が苦笑しながら語っている。
もうひとつ、改めて納得がいったのは、音楽ディレクター・藤田純二が当時のアニメとしては珍しく、主題歌と同様にBGMにも力を入れていた、ということ。
僕は主題歌の収められた最初のサントラ盤より、BGM主体の2枚目『戦場で』のほうが好きで、友だちに借りてカセットテープに録音し、毎晩のように聴きながら受験勉強をしていた記憶がある。
いま振り返れば、こういう音楽もコアなファンを生み出す大きな原動力のひとつになったのだろう。
そうした細部まで丁寧に拾い上げ、検証とインタビューを重ねている点で、本作は確かに「永久保存版」と言える。
オススメ度A。