再放送された今月10日朝、朝食を摂りながら何の気なしに観ていて惹きつけられ、途中から録画して再度じっくりと鑑賞した。
サブタイトルの「マンホールチルドレン」とは、モンゴルの首都ウランバートルのマンホールで暮らしているホームレスの子供たちのことである。
僕は2009年、横綱・白鵬の取材でウランバートルを訪ね、実際に物乞いをしている数多くの子供たちを見たことがある。
案内役の「風の旅行社」のモンゴル支社長(モンゴル人)と街を歩いていると、すぐに金を求めて手を差し出しながら近寄ってくるのだ。
そのたびに支社長が子供に小銭を渡し、手慣れた仕草で追い払っていた。
本作を観て、あのときの子供たちが何かに必死に耐えているかのような悲痛な眼差しをこちらに向けていたことを、まざまざと思い出した。
本作はそういうマンホールチルドレンだったボルトが13歳、ナジャが14歳だった1998年から20年間、彼らの生き様と友情を追い続けた大河ドラマのようなドキュメンタリーである。
オープニングで登場する34歳のナジャはゴミ捨て場で働く清掃員、33歳のボルトは自分のタイヤ修理工場で働く経営者兼修理工(初放送時)。
画面はそこから20年前に遡り、ボルトとナジャがどのような人生で歩んできたかを振り返る。
ふたりは近くのマンホールに住むオユナという活発で陽気な少女と知り合い、しょっちゅう3人で遊んでいた。
オユナは16歳で結婚し、一人娘をもうけるが、夫の両親にマンホールチルドレンであることを知られて離婚。
ふたたびマンホールに戻ってきたオユナはボルトを頼って、ごく自然にふたりは結婚し、ボルトがウランバートル郊外に建て、「希望の家」と名づけたマイホームで一緒に暮らすようになる。
やがて生まれた娘には、「永遠の幸せ」を意味するナッサンと名付けた。
しかし、同居していたボルトの母親とオユナの折り合いが悪く、ボルトが母親を追い出したあと、夫婦仲までこじれて、とうとうオユナはナッサンを連れて家を出てしまう。
家庭が崩壊すると、ボルトは酒浸りになり、希望の家も廃屋と化す。
2008年、オユナはナッサンとともにナジャの家に転がり込み、ボルトが妻と娘に会いたいと迫っても、ナジャは頑なに会わせようとしない。
このままボルトは落伍者となってしまうのか、ナジャとの友情も、オユナやナッサンの愛情も取り戻せずに終わるのか。
実際にそうなりかねない危機的な場面も含めて、制作者のカメラは20年間、彼らがウランバートルでのたうち回るように生きていく姿を延々と追い続ける。
これが日本人の被写体であれば、「こんなところまで撮るな」と言い出しそうなシーンも少なくない。
それでも、ボルト、ナジャ、オユナが、まるでカメラなどないかのように諍いを繰り返しているところに、制作者との信頼関係や適度な距離感を感じる。
13〜14歳の少年だったボルトとナジャは20年後、30代の日本人以上に人生の年輪を感じさせる顔へと変貌する。
日本に住んでいてはわからない様々な辛い思い、惨めな経験、持って行き場のない怒りや悔しさに耐えてきただろう彼らに対して、いまの顔は成長の証だと軽々しく言うことは、私にはできない。
令和元年度文化庁芸術祭ドキュメンタリー部門大賞、第9回衛星放送協会オリジナル番組アワードグランプリ、第56回ギャラクシー賞特別賞受賞作品。
オススメ度A。