きょうの東スポ、大スポ、中京スポの紙面より、『球界平成裏面史』の広島カープ編がスタートします。
朝刊の九スポは原則翌日の朝刊掲載で、ネットの東スポWebにもアップされますが、いつになるかはライターの僕にはわかりません😅。
僕は阿南監督時代の1988(昭和63)年からカープの取材を始めて、当時の選手や首脳陣には随分可愛がっていただきました。
その時代の詳しい話も書きたいんだけど、今時の読者にはピンとこないんじゃないかなー。
というわけで、今回は2016~18(平成28~30)年のカープ3連覇の裏話から始めたい。
当時は毎週のようにカープ物の記事を書き、『広島カープ論』、その文庫版『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(ともにPHP研究所)という本も出しました。
今回の連載では、自著や過去記事と重なる部分もありますが、毎回〝初出し〟のネタも盛り込むつもりです。
もう時効だろうと思いつつ、誰か怒ったりしないかな、とビクビクしながら😓。
それにしても、いま振り返ると、カープの3連覇は平成一番の〝大異変〟と言ってもいい。
1991年以降、優勝から遠ざかり、98~12年と14年連続でBクラスだったチームが、巨人をしのぐ王者と呼ばれるほどの常勝軍団に変身したのだから。
その中心的役割を担ったのが、2014年オフにカープに復帰した新井貴浩、黒田博樹。
一度はFA宣言して移籍したのち、広島に戻っ的た選手は過去にいなかった。
ふたりが長年の前例を打ち破った裏側に何があったのか。
新井が経緯を明かしてくれたのは、広島復帰から3年たって、チームが2連覇を目指していた17年のシーズン中である。
「僕自身は最初、広島に戻れるなんて、思ってもいませんでした。
むしろ、戻っちゃいけないと考えていたくらいですよ」