BS世界のドキュメンタリー『見えざる病原体』(NHK-BS1)🤔

Unseen Enemy 
49分(オリジナル版97分) 2017年 
アメリカ、ドイツ=Sierra Tango Productions,Vulcan Productions,WDR
初放送:2018年2月6日 再放送(3回目):2020年4月18日

本作で取り上げられているのは、2003年のSARS(新型インフルエンザ)、2007〜13年のジカ熱、2014年のエボラ出血熱など、いずれも最近猛威を振るった感染症である。
本作の冒頭、ソカ・モーゼスという若いリベリア人医師が登場し、自分は子供のころから戦場のすぐそばで育ったと、こう述懐する。

「何度もミサイルや爆撃機の音を耳にしていると、最初に遠くから聞こえてきたとき、どこへ飛んでいくかわかるようになる。
しかし、ウイルスはどこから来て、どこへ飛んでいくかわからない」

本作の制作当時、彼はエボラ出血熱の治療センターに勤務中だった。
テントの中でトイレに座り込んだり、床に伏せったりしたままの患者を励まし、診察しながら、「リベリアはいま、エボラと戦争している」とモーゼスは言う。

このプロローグに続いて、本作はジカ熱の現状を伝える。
ジカ熱は蚊を媒介とした感染症で、アフリカからミクロネシアのヤップ島に渡り、島民の70%が感染、やがて世界的大流行(パンデミック)に発展した。

ジカ熱のウイルスは2013年ごろ、旅行者が飛行機でミクロネシアからブラジルに持ち込んだものと見られている。
ブラジルはちょうど2014年にサッカーW杯を控えており、様々なイベントやエキシビジョンゲームが行われている真っ最中で、スタジアムや街中のあちこちに3密状態が発生していた。

ブラジルの貧民街は公衆衛生の観念に乏しく、インフラも未開発状態で、ドブや下水溝に潜む無数の蚊が人を刺して回り、瞬く間にジカ熱が国中に蔓延。
こうして翌2015年には、ジカ熱の副作用によって小頭症の子供が数多く生まれる事態が発生した。

小児神経科医ヴァネッサ・ヴァンダーリンデンの勤務する病院には200人もの小頭症の患者が殺到し、彼女自身1日に3人の患者を診たと証言。
病院の廊下で小頭症の赤ん坊を抱えた母親が診察の順番待ちをしている映像は、悪夢を見ているようだというほかに言葉がない。

ジカ熱ウイルスは妊婦の血液に潜り込むと、胎児と母親の身体を行ったり来たりしながら成長を続け、胎児の脳細胞を食い物にしてしまう。
小頭症の子どもは生まれつき脳の機能障害、視覚神経や中枢神経の障害を抱えていて、出生後に治癒する手立てはない。

ジカ熱はその後、60の国と地域に拡大し、いまだに猛威を振るっている。
日本では2014年、ジカ熱と同じ蚊を媒介とするデング熱の患者が確認され、新宿御苑が立入禁止になって大がかりな消毒が行われたことは記憶に新しく、とても対岸の火事とは思えない。

また、本作を観て初めて知ったのだが、アメリカで猛威を振るった新型インフルエンザの流行も凄まじかったようだ。
2009年に養豚場で豚インフルエンザのH1N1型ウイルスが発生し、農産物の品評会などで人間に感染、感染病史上最多と言われる13億人が罹患した。

2014年冬、ミネソタに住む17歳のシャロン・ツワンツイガーが新型インフルエンザに感染し、数日後に自宅でバスタブに浸かったまま死んでしまった経過を、両親が涙ながらに語る。
ドクター・ヘリコプターで大病院へ移送され、延命措置を受けたものの時すでに遅く、絶命直前に様々な処置を施したため、亡くなったときにはすっかり生前の面影が失われていたという。

本作の制作当時、医療機関に確認されているだけで、毎年インフルエンザで入院する患者は世界中で約500万人、うち死者は20万人に上っていた。
この数字は、5月上旬時点において、世界中で報告された新型コロナウイルスの感染者と死者の数に近い。

生物学者マーク・スモリンスキーは「いま最も恐ろしいのは鳥インフルエンザだ。人間に感染したら致死率は50〜60%に達する」と指摘する。
スモリンスキーが視察した鳥肉市場では、客が注文したアヒルや鶏を店員が次から次へとその場で絞め、流れ作業で羽をむしり、肉を洗って客に渡している。

問題は、店員が素手でそうした作業を行い、鶏肉を洗う水を交換せず、まったく消毒していないことだ。
カンボジア・プノンペンのパスツール研究所が市場の排水を調査したところ、2011年の鳥インフルエンザ陽性率は18%だったが、5年後には66%まで上昇していた、という事実を踏まえて、スモリンスキーはこう警告する。

「私たちが恐れるのは、感染力の強い豚インフルエンザ、致死性の高い鳥インフルエンザ、この2種類が混じり合って変異する新型ウイルスが現れることです。
この2つはいま、同じ培養皿の上に乗っているのです」

その「変異した新型ウイルス」が新型コロナでないことを願うばかりだ。
そうした事態を未然に防ぐためにも、「これからはますます公衆衛生の確立が重要性を増してくる」と、アメリカ外交問題評議会研究員ローリー・ギャレットという人物はこう指摘している。

「公衆衛生は政府と国民の双方向の信頼に基づいている。
人々の協力がなければ、政府は保健衛生の政策を実行できない」

この点、いまの日本国民はかなりの程度、政府に協力できている、というのが僕の見方だが、遅きに失していないことを祈る。
本作が制作された3年前の2017年、疫学者ラリー・ブリリアントはすでにこういう実情を報告しているのだ。

「2006年に世界中の疫学者が一堂に介する会議が開かれた。
そのとき、大多数の学者が、今後20〜30年のうちにパンデミックが起こるだろうと考えていました」

本作の終盤には、冒頭に登場したソカ・モーゼス医師がふたたび登場し、エボラ出血熱の治癒に成功した女性患者について報告する。
彼女が退院するとき、モーゼスが防護マスクとゴーグルを取ると、初めてモーゼスの顔を見た彼女は、「ありがとう」とお礼を言いながら泣き崩れた。

大変感動的なエピソードであり、フィクション化されたらエンディングにふさわしい場面になるだろう。
が、人類はまだエボラ出血熱を完全に克服したわけではない、という以上に、何も解明されていないに等しい、とモーゼスは言う。

「同じ施設で同じ治療を受けていて、重症でも助かる人がいれば、軽症なのに命を落とす人もいる。
どうしてそうなるのか、僕にはわからない」

そう語ったモーゼスはロンドンに留学し、エボラ出血熱の発見者ピーター・ピオット(現ロンドン大学衛生・熱帯医学大学院学長)の元で、改めてこの感染症について勉強することになる。
このように国境を超えた医療従事者たちの連携に希望を見出そう、手を携えて頑張っていこうと視聴者を促して、このドキュメンタリーは終了する。

こういうドキュメンタリーを見れば見るほど、また感染症に関する本を読めば読むほど、世界と人類がいままで、コロナ禍のようなパンデミックに見舞われなかったこと自体がむしろ奇跡的だったのだと思えてくる。
たとえこのコロナ禍が収まっても、またいつ次なる強力なウイルスに襲われるかわからない、と肝に銘じないではいられない。

オススメ度A。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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