東京スポーツ『球界平成裏面史11/落合・清原移籍騒動の巻③』

渡辺・読売新聞社社長の激怒発言を伝えたスポーツニッポン:1996年11月26日付1面

紛糾に紛糾を重ねた〝落合・清原移籍騒動〟は、またしてもこの人の一喝によって急速に収束へ向かった。
渡辺・読売新聞社社長(巨人オーナーに就任するのはこの年12月)が、「余計なおしゃべりが過ぎたな」と、一連の巨人批判発言に関して謝罪を求めたのだ。

こうなったら、とても巨人に居座ることはできない。
落合との直接会談に応じた長嶋監督も「来季はベンチや代打が多くなる」と説明して、ついに落合自ら退団せざるを得なかった。

落合の表情が印象的だった日刊スポーツ:1996年11月29日付1面

落合退団のニュースが流れてから1時間後、落合獲得をぶち上げたのが、巨人と長嶋監督をライバル視するヤクルト・野村監督である。
なんと、球団納会の挨拶に立った壇上で、「桑原オーナーに落合を取ってくださいとお願いしました」と表明したのだ。

ヤクルト・野村監督と落合の交渉を詳報した報知新聞:1996年12月4日1面

そこへ、「落合ならウチもほしい」と、日本ハム・上田監督も獲得に名乗りをあげる。
こうして、巨人を舞台とした〝落合・清原移籍騒動〟は、名将2人による〝野村vs上田・落合争奪戦〟へと様相を一変させた。

つくづく思うに、昔の球界人は本当に話題をつくるのがうまかった。
野球のプレーや采配ではもちろん、コメントも身の処し方も常にファンの注目の的であり続けた。(文中敬称略)

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スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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