平成8年(1996年)11月、巨人はFA宣言した清原の獲得に動き、落合解雇の方針を固めていることが露見する。
激怒した落合は信子夫人、長男、愛犬を連れて静岡県・川根町の温泉にある知人宅に身を寄せた。
そして、同行したスポーツ紙の担当記者に舌鋒鋭く球団批判を展開。
一連の発言が連日スポーツ紙の1面を飾り、巨人フロントと落合の間は抜き差しならない事態に発展した。
そんな落合を気遣ってか、長嶋監督は2度落合に電話し、留守電にメッセージを吹き込むが、落合はコールバックしようとしない。
両者が膠着状態に入った中で、清原も巨人の姿勢に不信感を抱き、阪神から熱烈なラブコールを受けて揺れ始める。
ここで長嶋監督が自ら交渉に乗り出すことを決意。
系列紙の報知新聞には、永久欠番となっている自分の現役時代の背番号3を譲ってもいいと打ち明けた。
こうして、巨人が清原獲得に成功すると、渡辺・読売新聞社社長が落合に対して怒りを爆発させた。
川根町での球団批判を「余計なお世話だ」と一刀両断、「取り消してもらわなければならん」と謝罪を要求したのである。
(文中敬称略)
この続きはきょうの東スポ、大スポ、中京スポでお読みください!
朝刊の九スポは1日遅れで明日掲載の予定です!