東京スポーツ『球界平成裏面史9/落合・清原移籍騒動の巻①』

平成時代の球界を賑わせた事件を検証するこの連載、今週は平成8年(1996年)、巨人で巻き起こった〝落合・清原移籍騒動〟を振り返ります。
この年、西武・清原がFA宣言するや、すぐさま巨人が獲得の名乗りを挙げたのが事の発端。

清原はPL学園3年だった1985年、巨人がドラフト1位指名してくれるものと信じていたが、巨人は早大進学を表明していたチームメート桑田を獲得。
悲嘆の涙に暮れた清原が、10年越しの〝初恋〟を実らせようとしていた。

清原と長嶋監督の入団交渉を伝える報知新聞:1996年11月21日付1面

しかし、巨人には清原と同じ一塁を守る落合がいた。
巨人側は清原との初交渉で「落合は解雇するから」と説明し、これがスポーツ紙に大々的に報じられたことから、事態は紛糾する。

当然、落合は激怒し、頭を抱えた巨人では深谷代表が急転、「落合は残留」と発表。
この朝令暮改ぶりがかえって火に油を注ぐ結果となり、落合はますます巨人への不信感を募らせていった。

落合の言い分を報じたスポーツニッポン:1996年11月16日付1面

詳しくはきょうの東スポ、大スポ、中京スポでお読みください!
なお、朝刊の九スポは明日掲載の予定です。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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