BS世界のドキュメンタリー『ミャンマー民主化の内側で アウンサンスーチーの真実』(NHK-BS)🤔

On the Inside of A Military Dictatorship 
45分(オリジナル版110分) 2019年
製作:デンマーク、フランス=Bullitt Film,Little Big Story,Arte France
初回放送:NHK-BS 2019年12月9日午後11時00分〜 再放送:同年同月17日午後6時00分~

アウン・サン・スー・チー(以下スーチー)はミャンマーの軍事政権に自宅軟禁されながら、約四半世紀にわたって非暴力民主化運動を推進し、ノーベル平和賞まで受賞した人物である。
それほどの人物がなぜ、かつて自分を迫害した軍部によるロヒンギャ(ミャンマーのイスラム教徒)への弾圧を黙認しているのか、約45分にまとめたわかりやすいドキュメンタリー。

スーチーはもともとビルマの独立運動のリーダーだったアウンサン将軍の娘で、1988年の国家民主連盟(NLD)の結党に中心的な役割を果たしていた。
そして、翌1989年にクーデターを起こした軍部によって自宅に軟禁され、国外退去すれば自由の身にするとの取引にも応じず、ミャンマーにとどまって非暴力民主化運動の旗振り役となる。

ミャンマーの民意がスーチーの復権に傾く中、彼女の目標が大統領就任にあることを察知した軍部は、議会での圧倒的多数を利し、外国籍の家族がいる人間の大統領就任を禁じた憲法第59条F項を制定する。
これにより、イギリス国籍の息子(アレキサンダー・アリス、キム・アリス)を持つスーチーは大統領に就任できなくなった。

1990年の総選挙ではNLDが大勝するが、軍部は「民主化より国の安全が優先」として政権を譲らず、国際社会から猛烈な非難を浴びる。
この年、スーチーはミャンマーの非暴力民主化運動のシンボルとなり、国際社会からも高く評価され、ノーベル平和賞を受賞。

ここまでの経緯は国際政治に疎いぼくも覚えていたが、実はこのころ、スーチーは憲法改正(第59条F項撤廃)のためにロビー活動を展開していた。
軍部の一票を確保しようと、かつての軍事政権のナンバースリー、長年政権内部で干されていたシュエ・マン将軍と手を結んだのだ。

その後、紆余曲折を経て、2015年の総選挙でもNLDが大勝するが、重要な閣僚ポストは軍部に握られたまま、大統領就任を可能にする憲法改正も叶わず。
そこでスーチーは、大統領に助言(実質的には指示)を与えられる「国家顧問」という新たな権力の座を作り上げた。

国家顧問新設の法案成立直前、スーチーは「私は憲法が定めていない大統領以上の存在になります」と記者会見で宣言。
記者に「どうやって?」と質問されると、「考えています。ありがとうございました」と余裕の笑みを浮かべて見せた。

このポストを考え出したのは、弁護士でNLDの法律顧問だったコー・ニー。
こうして国家顧問の座に就いたスーチーは、テイン・チョー大統領を傀儡として意のままに操り、「すべての決定は私が下します。憲法59条F項を満たす大統領の人選が必要なら、それも私が選びます」と宣言する。

この時点でのスーチーはもはや、平和主義者というよりは軍部に取って替わった権力者のようにも見える。
そして、軍部がスーチーを「民主的独裁だ!」と非難している中、コー・ニーが銃で暗殺された(本作では軍部による犯行だと断定している)。

実は、このコー・ニーがイスラム教徒、すなわちロヒンギャだった。
そして、ロヒンギャの人たちには、スーチーの父がイギリスからのビルマ独立を目指した1947年、ミャンマーで多数派を占める仏教徒と対立、最後までイギリス側のラカイン州にとどまって抵抗を続けた、という歴史があった。

以来、仏教徒はロヒンギャを「裏切り者」と呼んで非難し、軍事政権の国軍最高司令官も「ロヒンギャはこの国に属さない。他国から来たベンガル人だ」と国際社会に向かって宣言。
2016年、迫害され続けたロヒンギャは武装してラカイン州の警察を襲撃すると、これを軍事介入の絶好の機会と見た軍部は、大規模な掃討作戦に乗り出す。

軍部は憲法上、いまだに独自の判断で行動することが可能で、武装集団だけでなく、民間人まで標的にして虐待し、その映像が全世界に流された。
これは「民族浄化」だと国際社会から批判され、国連によれば12日間で15万人近いロヒンギャの人々が難民となってミャンマーを脱出、バングラデシュに向かったという。

国際社会は当然、ノーベル平和賞受賞者のスーチーが、軍部の暴力にストップをかけるものと期待した。
しかし、憲法上、国家顧問として軍部の行動を制限することができないスーチーは、いまも黙認を続けている。

第一に、政権安定のために軍部を刺激したくないから。
第二に、多数派の仏教徒がロヒンギャを追放しようとデモを行なっている国情を鑑みて、次回の選挙で票を失いたくないからである。

スーチーは2017年9月17日、全世界に放送された演説で、「ロヒンギャの紛争地域だけでなく我が国全体のことを考えていただきたい」と発言。
欧米メディアは「スーチーはロヒンギャや自分の国際的評価より、軍との関係や政府の安定を選択した」と酷評した。

スーチーにはいまや、世界中から「ノーベル平和賞を剥奪すべき」との非難の声が寄せられ、ネット上ではそのための署名運動まで展開されている。
かつてアジアで非暴力と民主化の象徴的役割を果たしたミャンマーは、この自己矛盾と袋小路から抜け出すことができるのだろうか。

オススメ度A。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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