佐々木朗希を取材してクロマティを思い出した⚾️🍉

午前中のフリー打撃(※画像の打撃投手は佐々木朗ではありません)

きょうは久しぶりにマウンテンバイクでS県H市の山を走るつもりだった。
ハマスタでは練習試合のDeNA−阪神戦をやっていたけれど、このカードなら明日もやっているから。

約2カ月ぶりなのできのうから気合が入り、愛車のメンテをしっかりやったのはもちろん、山用の備品、工具、ウエア、補給食も準備。
朝は目覚まし時計よりも早く起床し、朝ごはんもガッツリ食べ、お通じのためにドカッと便座に腰を下ろし、日刊スポーツをパラパラとめくる。

そうしたら、「ロッテ・佐々木朗希がきょうフリー打撃に初登板! 打者に向かって投げるのもプロ入り初!」なんて記事が。
あちゃー!…と言ってはいかんか、これ、取材に行くしかないじゃん。

というわけで、急遽向かったZOZOマリンスタジアムでの佐々木朗フリー打撃初登板は、同期新人・福田光輝(法大)、5年目の茶谷健太に5分間、計25球。
福田光の左中間本塁打を含む安打性の当たりは5〜6本で、最速は157㎞、打者が立つ前の練習では158㎞と、「モノが違う」ところを見せました。

もっとも、佐々木朗本人は「すごくバラつきがあったので、もっと安定してストライクを投げられるよう、状態を上げていきたいです」と反省の弁。
福田光に浴びた一発についても、「プロは速い真っ直ぐだけで抑えられる世界ではないので」と謙虚に振り返っていました。

一方、スタンドまで運んだ福田光の感想は、「高めが速かった。回転もきれいで、あんな真っ直ぐはいままで見たことがありません」。
さらに、「外角の球は遠くに見える。ボールが小さく見えましたね」と、独特の表現で“令和の怪物”の剛速球を絶賛していた。

ちなみに、この逆で「ボールが大きく見える」と言っていたのは、巨人時代のウォーレン・クロマティ。
1989年のシーズンは打撃絶好調で、96試合目まで打率4割を維持(プロ野球記録)し、「ボールがスイカに見える」とまで豪語した。

しかし、1997年生まれの福田光が、この“名言”を知っていたとは思えない。
きょうはぼくと同じ50代の記者もいて、「クロマティのセリフを覚えているか」と聞いてみたけれど、誰も知らなかった。

ちなみに、当時のロッテはまだ川崎球場が本拠地で、チーム名もマリーンズではなくオリオンズ。
今年は球団創設70周年で、歴代のロゴマークが正面玄関のロビーに飾られていました。

真ん中が、私が野球記者になった当時のロゴマーク
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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