フリーライター的キャンプ取材14年間の収支🧮

A先生は今年、独立して15年目という節目を迎えています。
日刊現代を退職したのが2006年5月なので、フリーライターとしてのキャンプ取材は14年目。

かつて交通費や宿泊費はもちろん、飲食費まで経費で賄っていた社員記者時代とは、お金の使い方も出張期間も随分変わりました。
そこで、フリーランス生活のキャンプ取材の収支をざっと振り返っておきたい。

2007年
春 沖縄2月7~14日 
  宮崎16~26日
秋 松山11月14~15日

仕事は春が講談社・月刊現代、セオリーの単発原稿、WEDGEの連載、秋が徳間書店・アサヒ芸能の連載など。
フリーになって最初のキャンプ取材だったので張り切った割りに、最も長い記事を書くはずだった月刊現代は企画がボツになったあげく、雑誌自体も程なく休刊になってしまった。

2008年
春 宮崎2月5~6日

WEDGE連載の仕事で担当編集者と宮崎へ飛び、タクシーで日南入りして、その夜は地鶏とうなぎ、翌日の帰京前には釜揚げうどんと魚ずしをたっぷり食べさせてもらった。
が、残念ながら、この年の取材はこの1件だけ。

2009年
春 宮崎2月6~17日
  沖縄17~20日

講談社単行本、朝日新聞出版・AERA連載、WEDGE連載、文藝春秋・オール讀物の単発原稿など。
当時はまだ運動記者クラブ会員ではなく、巨人が発行してくれた取材パスには、全社全媒体の名前が記入された。

2010年
春 沖縄2月5~9日
  宮崎11~14日
秋 宮崎11月10~14日
  松山14~15日

  宮崎15~18日

春は講談社・週刊現代連載及び単行本、秋は講談社の単行本と東スポの連載。
この年の秋から運動記者クラブに参加し、NPBのパスも支給され、自由に球場に出入りできるようになった。

2011年
春 沖縄2月9日
  宮崎10~13日

講談社・週刊現代連載及び単行本、東スポ連載の取材。
出張直前の1月末にマウンテンバイクで転倒し、鎖骨1本、肋骨5本を骨折して治療中だったため、いずれもインタビュー取材だけ済ませてそそくさと帰京。

2012年
春 宮崎2月8~15日、19~20日
  沖縄20~23日

講談社・週刊現代連載、東スポ連載、文藝春秋・Sports Graphic Numberの取材など。

2013年
春 宮崎2月2~9日

PHP研究所単行本、東スポ連載の取材など。

2014年
春 宮崎1月31日~2月8日、14~16日
  沖縄19~21日
  高知26日
  沖縄28~3月1日

講談社・週刊現代連載及び単行本、小学館・週刊ポスト単発原稿、東スポ連載の取材など。
この年は1カ月で東京との往復が宮崎・沖縄各2回、高知1回とフリーになってから一番ハードで、しかも2月8日の一時帰京、14日の2度目の宮崎入りの際、羽田空港が大雪に見舞われて冷や冷やした。

2015年
春 宮崎1月31日~2月15日
秋 宮崎11月13~19日

春、秋とも講談社・単行本、東スポ連載など。
前年の教訓を元に、春は2週間以上宮崎に腰を据えられるスケジュールを組んでいる。

2016年
春 宮崎1月31日~2月15日
秋 宮崎11月3~10日

春は東スポ連載、WEDGE Infinity連載など。
秋は上記2本に加え、講談社単行本の取材。

2017年
春 宮崎1月31日~2月15日

講談社、東スポ連載、WEDGE Infinity連載など。

経費の支給と精算の方法は各社まちまち。
実際に払ったぶんだけを後できちんと精算する方針の社があれば、事前にある程度まとまった額を渡すから、その範囲内でやりくりするよう求めてくるところもあります。

しかし、いくら経費が出るとはいえ、14年のように5回も東京とキャンプ地を行ったり来たりすると、さすがに疲れる。
そこで、15年以降、2月上旬はとりあえず宮崎に常駐という方針に変更。

原稿だけ書いたらさっさと帰るのであれば、11年や13年のように短期間で東京へUターンすればいいんだけど、それではやっぱり物足りない。
出張先で会いたい人、食べたいもの、球場以外に行きたいスポット(温泉や観光地)もあるしね。

そこで、出張期間の前後2日間ぐらい、余分に出張期間を設定。
17年までの3年間は2週間以上、宮崎に滞在している。

ただ、そうすると当然、自己負担の割合も増す。
15年はまだ余裕があったが、16年は半分以上が自費とフリーになってから一番の持ち出しとなり、17年はどうにか大部分を経費で賄ってと、いささかやりくりに苦労するようになった。

11年、13年のように、やるべきことだけ済ませてとっとと帰れば、自腹を切る必要もない。
それでも、17年まで宮崎に2週間以上滞在していたのは、要するにキャンプ地へロードバイク(自転車ね)を持っていき、向こうで仕事をするついでにサイクリングをしたかったから。

年間5000~7000㎞こいでいた40代前半のころと違い、このころには週一のトレイルやサイクリングもままならなくなっていた。
だから、宮崎での2週間はみっちり運動に集中できる一年で唯一の期間だったのです。

でも、17年3月、毎週金曜朝8時からTBSラジオに生出演するようになったので、18年以降はキャンプ取材は1週間までが限度。
こうなると、取材の合間に自転車に乗っているどころではありません。

こうしてみると、14年間の収支は赤字もいいところ。
来年はどうなるかなー。

(旧サイト:2017年2月17日付Blogに加筆訂正)

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る