ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスは学生時代、集中的に読み漁った作家のひとり。
魔術的リアリズムという言葉を生んだ代表作『百年の孤独』(1967年/邦訳1972年)をはじめ、『族長の秋』(1975年/同1983年)、『エレンディラ』(1978年/同1983年)、『予告された殺人の記録』(1981年/同1983年)などはいまでもディテールをよく覚えている。
一方、ジャーナリスト出身であることから、『ある遭難者の記録』(1970年/邦訳1982年)、『戒厳令下チリ潜入記 ある映画監督の冒険』(1986年/邦訳同年)といった優れたノンフィクションも残している。
それも、単純に取材した事実を積み重ねるだけでなく、小説で培った手法と構成力を駆使し、ルポルタージュを文学作品にまで昇華させているのだ(それを逸脱と捉える見方もあるが)。
本作では1993年、コロンビアの国際的麻薬密輸組織メデジン・カルテルによって行われた4件(実質的には3件)の誘拐事件が被害者の側から描かれる。
当時のコロンビアにおける誘拐は、よくある家族に身代金を要求するような営利目的の犯罪ではない。
カルテルの首領、世界的にも最も多くの利益を得た麻薬王として知られるパブロ・エスコバルは当時、警察に投降を迫られながら、刑務所に入所したあとの処遇をめぐり、水面下で政府とぎりぎりの交渉を続けていた。
エスコバル自身は刑務所入りすることに異存はないが、カルテルのメンバーがコカインを持ち込んだアメリカに引き渡されたら最後、二度と生きて帰国することはできない。
さらに、娑婆に残されたエスコバルら幹部たちの家族が、麻薬密輸の対抗組織カリ・カルテルに誘拐・暗殺される可能性も高い。
そこでエスコバルは、政府要人、その要人たちの子息でジャーナリストとして働いている人間を次々に誘拐し、政府から投降後の処遇に関して何らかの譲歩を引き出そうとしたのだ。
おれたちの身柄をアメリカに引き渡すな、おれたちがムショに入ってからも家族の身の安全を保証しろ、と。
従って、誘拐された人質たちの命運は、カルテルに対する法的措置を協議している制憲議会の動向、及びその成り行きを日々報道しているメディアの報道にかかっている。
と、こう書くとわかりやすいようだが、本作はいきなり誘拐の具体的描写から始まっており、ガルシア=マルケスは最初から誘拐の背後関係や当時のコロンビアの政情を詳しく書き込んでいるわけではない。
それが、緊張感に満ちた筆致に引っ張られて読み進めていた中盤、人質たちが置かれた生々しい描写の最中に、誘拐された側と誘拐した側の抜き差しならない関係、その背景にある歴史的背景が不意に眼前に迫ってくる。
このディテールの描写力、それと渾然一体化した力技的構成力は、もうガルシア=マルケスならでは。
終盤、いつまでも人質が解放されない中、誘拐された女性の夫が自らカルテルとの交渉に乗り出し、ついにエスコバルとの対面を果たす場面には、一種のカタルシスさえ感じられた。
2019読書目録
※は再読、及び旧サイトからのレビュー再録
33『エペペ』カリンティ・フェレンツ著、池田雅之訳(1978年/恒文社)
32『仁義なき戦いの〝真実〟 美能幸三 遺した言葉』鈴木義昭(2017年/サイゾー)
31『ある勇気の記録 凶器の下の取材ノート』中國新聞社報道部(1994年/社会思想社 現代教養文庫)
30『誇り高き日本人 マルカーノ選手』藤井薫(1979年/恒文社)
29『ブルース・リー伝』マシュー・ポリー著、棚橋志向訳(2019年/亜紀書房)
28『タイムマシンのつくり方』広瀬正(1982年/集英社 集英社文庫)
27『時の門』ロバート・A・ハインライン著、稲葉明雄・他訳(1985年/早川書房 ハヤカワ文庫)
26『輪廻の蛇』ロバート・A・ハインライン著、矢野徹・他訳(2015年/早川書房 ハヤカワ文庫)
25『変身』フランツ・カフカ著、高橋義孝訳(1952年/新潮社)
24『ボール・ファイブ』ジム・バウトン著、帆足実生訳(1979年/恒文社)
23『車椅子のヒーロー あの名俳優クリストファー・リーブが綴る「障害」との闘い』クリストファー・リーブ著、布施由紀子訳(1998年/徳間書店)
22『ベストセラー伝説』本橋信宏(2019年/新潮社 新潮新書)
21『ドン・キホーテ軍団』阿部牧郎(1983年/毎日新聞社)※
20『焦土の野球連盟』阿部牧郎(1987年/扶桑社)※
19『失われた球譜』阿部牧郎(1998年/文藝春秋)※
18『南海・島本講平の詩』(1971年/中央公論社)※
17『カムバック!』テリー・プルート著、廣木明子訳(1990年/東京書籍)※
16『ボール・フォア 大リーグ・衝撃の内幕』ジム・バウトン著、帆足実生訳(1978年/恒文社)※
15『ショーケン 最終章』萩原健一(2019年/講談社)
14『頼むから静かにしてくれ Ⅱ』レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳(2006年/中央公論新社)
13『頼むから静かにしてくれ Ⅰ』レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳(2006年/中央公論新社)
12『試合 ボクシング小説集』ジャック・ロンドン著、辻井栄滋訳(1987年/社会思想社 教養文庫)
11『ファースト・マン 月に初めて降り立った男、ニール・アームストロングの人生』ジェイムズ・R・ハンセン著、日暮雅通・水谷淳訳(2019年/河出文庫)
10『平成野球30年の30人』石田雄太(2019年/文藝春秋)
9『toritter とりったー』とり・みき(2011年/徳間書店)
8『Twitter社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』津田大介(2009年/洋泉社)
7『極夜行』角幡唯介(2018年/文藝春秋)
6『力がなければ頭を使え 広商野球74の法則』迫田穆成、田尻賢誉(2018年/ベースボール・マガジン社)
5『OPEN アンドレ・アガシの自叙伝』アンドレ・アガシ著、川口由紀子訳(2012年/ベースボール・マガジン社)
4『桜の園・三人姉妹』アントン・チェーホフ著、神西清訳(1967年/新潮文庫)
3『かもめ・ワーニャ伯父さん』アントン・チェーホフ著、神西清訳(1967年/新潮文庫)
2『恋しくて』リチャード・フォード他、村上春樹編訳(2016年/中公文庫)
1『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』ティム・オブライエン他著、村上春樹編訳(2006年/中央公論新社)