1964年、東京オリンピック閉会式の光景に、テレビ中継を観た世界中の人たちが驚いた。
旧国立競技場に現れた世界各国の選手たちが、開会式のように国ごとに分かれて整然と行進するのではなく、国籍も人種も一緒くたになり、和気あいあいと競技場に現れたからである。
いまでこそ当たり前になっているこの〝平和の行進〟が実現したのは、東京オリンピックが初めてだった。
この出来事はいままで、偶然起こったものと伝えられてきた。
しかし、実は、1940年開催予定だった東京オリンピックが日中戦争、太平洋戦争によって中止に追い込まれた歴史的事実を踏まえた〝演出〟だったという。
そして、その〝幻のオリンピック〟に参加できず、戦争によって命を落とした選手たちの足跡と人生を、現代のトップアスリートを語り部にして振り返ったのがこの作品。
最初に登場するのは陸上短距離の選手で、1936年ベルリンオリンピックの100mと400mリレーに出場し、中国戦線で戦死した鈴木聞多。
埼玉県川島町にあるその鈴木の生家を、北京オリンピックの400mリレー銀メダリストの朝原宣治が訪ねている。
鈴木は1936年のベルリンでリレーの第2走者に選ばれながら、自らのバトンミスで失格。
オリンピックでお国のために何もできなかったことを心底悔い、この失敗を取り返そうとしてか、戦時中は自ら志願して帝国陸軍に入隊している。
当時の陸軍は鈴木の名声をプロパガンダに利用し、鈴木もまたこれに答えようと奮闘したのだろう。
中国から家族に宛てた手紙に、「怪しい人間は引っ張ってきて殺します。可哀想ですが、これもやむを得ません」と綴っている。
鈴木が手榴弾によって戦死すると、大変勇壮な散華であったとして、陸軍はさらにこれを戦意高揚に利用。
戦争は暴力によってする政治であり、政治とスポーツは不可分であると言われるが、戦時中の日本はここまでスポーツを戦争の道具にしていたのだ。
次に紹介されるのは元競泳選手、1932年ロサンゼルス、1936年ベルリンオリンピックの水泳監督を歴任し、大日本体育協会事務局長として1940年東京オリンピックの開催に尽力した松澤一鶴。
その松澤が残した言葉と記録を、平泳ぎでオリンピックを2連覇した金メダリスト・北島康介が辿っている。
最後に出てくるのはサッカー選手で、1936年ベルリンオリンピック日本代表の松永行(あきら)。
ベルリンでのスウェーデン戦で後半40分に逆転ゴールを決め、「ベルリンの奇跡」と呼ばれた勝利の立役者となった人物である。
しかし、戦時中、サッカーは軍政府に「敵性スポーツ」と見なされて禁止され、
陸上の鈴木とは違い、「戦争には行きたくない」と言いながら1937年に陸軍に招集され、1943年にガダルカナル島で戦死。
そんな松永の生涯を、松永の卒業した静岡・藤枝東高校の後輩に当たるサッカー選手・長谷部誠が語る。
そして、1964年の東京オリンピックで、史上初めて閉会式での〝平和の行進〟を発案し、実現させたのは、かつての大日本体育協会事務局長・松澤だった。
来年の東京オリンピックをめぐって諸問題が噴出している中、スポーツと戦争、政治、国家との関係性を改めて再考させられた作品。
オススメ度A。
なお、〝平和の行進〟の画像が転用されていた市川崑監督の映画『東京オリンピック』(1965年/東宝)も未見の方は是非どうぞ。