それでもひとりで投げ抜こうとする球児たち

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きのうは第2試合・熊本工-山梨学院大、第3試合・岡山学芸館-広島商の2試合を取材。
ただし、第3試合の試合前取材が第2試合の開始後間もなく行われるため、そちらに行っていたから序盤の経過は観戦していない。

それでも、ひとりで140球を投げ抜き、3失点で敗れた山梨学院の左腕エース・相沢の姿は大変印象に残った。
なにしろ、延長十二回、ここをしのいだら十三回からタイブレークに入るという寸前、140球目をバックスクリーンに運ばれてサヨナラ負けしてしまったのだから。

山梨学院はこの相沢と右腕エース・佐藤との2枚看板で予選を勝ち上がってきたが、この試合では相沢がふくらはぎを攣りながらもひとりで完投。
試合後、山梨学院・吉田監督は、佐藤が右肘を故障し、キャッチボールもできない状態だったことを初めて告白した。

「私はエースと心中するようなキャラの監督ではないが、この試合で初めて心中しようと思いました」と、苦しい胸の内を吐露。
「これは相沢本人の意思ではなく、あくまで私個人の判断」だそうで、「ピッチャーに『いけるか』と聞いたら『いけます』としか言わないので、私は『いけるか』とは聞いてません。批判されるのは覚悟の上でした」と悪びれたところはなかった。

相沢本人は、「佐藤が投げられないのはわかっていたから、この大会はひとりで投げるつもりでした。かけがえのない仲間たちと、少しでも長く野球をやりたかった」と涙ながらに語っている。
球数制限問題や大船渡・佐々木朗希の登板回避で、もはやかつてのような〝ひとりエース〟の時代ではないと言われるけれど、いざ甲子園に来てみると、やはりこういう投手が現れるのだ。

初戦で花巻東に勝った鳴門の西野は県予選からひとりで投げ続けており、甲子園でも「最後までひとりで投げ抜くつもりです」と意気込んでいる。
きょう東海大相模に敗れた近江のエース・林も「最後までぼくひとりで投げるつもりです」と、試合前取材で宣言していた。

彼らが時代遅れなのだろうか。
それとも、甲子園の高校野球選手権大会という舞台と雰囲気が、彼らの闘志や使命感に火を点け、肉体の痛みや疲れを忘れさせてしまうのか。

先日、解説の仕事で甲子園に来た前横浜監督・渡辺元智氏は、「甲子園の魔物は球場ではなく、甲子園でプレーする選手ひとりひとりの心の中にいるんだ」と話している。
なるほど、言い得て妙かもしれない。

それにしても、広島商の初戦敗退は非常に残念。
この話は近いうち、仕事の原稿で書きます。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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