去る10日、元大リーグ投手のジム・バウトン氏が脳疾患により80歳で死去したと、AP通信が報じた。
短信ながら、日本のスポーツ各紙もバウトン氏の訃報を伝えている。
バウトン氏は1959年にプロ入りし、62年にニューヨーク・ヤンキースでメジャーデビュー。
ワールドシリーズにも2度出場し、メジャー通算10年間、304試合に登板して62勝63敗6セーブ、防御率3.57だった。
数字だけ見れば至って平凡な成績と言うほかなく、いまも昔も数え切れないほどいる元大リーグ投手のひとりに過ぎない。
そんなバウトン氏の訃報がAP通信によって日本にまで伝えられたのは、彼が引退後の71年、『ボール・フォア』(画像上)という回顧録を著したからだ。
邦訳版の副題に『大リーグ・衝撃の内幕』とあるように、本書はメジャーリーグにおいて初めて選手自身が著した〝暴露本の古典〟である。
本書の発行から10年後、江本孟紀さんが1981年に上梓した『プロ野球を10倍面白く見る方法』のMLB版だと言えばわかりやすいだろうか。
バウトン氏はヤンキースの先発の柱として63年に21勝、64年に18勝を挙げて活躍するも、その後は調子を落としてマイナーに降格。
MLBで球団拡張(エクスパンション)が行われた69年、新設されたシアトル・パイロッツに放出された。
パイロッツは現在のマリナーズの前身、というわけではなく、翌70年にミルウォーキーに移転し、チーム名を改称して現在のブルワーズとなった。
その後、球団に出て行かれたシアトルがMLBに訴訟を起こすと表明し、改めて現在のマリナーズが創設された、という経緯がある。
そんなパイロッツで敗戦処理しか任されなかったバウトン氏は、クビが近いと見越し、引退後の収入確保のため、著書を出そうと決心。
ベンチでもグラウンドでもノートとペンを持ち歩き、試合や練習の合間にチームメートや監督や球団代表との会話を事細かに記録していた。
しかも隠れてやっていたわけではなく、本人たちの目の前で堂々とメモを取り、「これ、本に使えるな。ありがとよ」などとやっている。
当然、「冗談じゃねえや」とバウトン氏から逃げ回る選手がいる一方、「おい、こういう話もあるぞ」と面白がってネタを提供する手合いも少なくなかった。
そうした明け透けな言行録が一冊にまとめられたのが本書である。
発行当時、様々な反響を呼んだのは、当時ですら伝説の域に入っていたミッキー・マントル、ヨギ・ベラ、ホワイティ・フォードといったスーパースターたちのベンチ裏の生々しい素顔と言動の数々。
殿堂入りした根性の男マントルが、実はノゾキの常習犯。
当時は球場の構造上、スタンドの下から女性客のスカートの中を覗けるところがあり、マントルはここで「ビーバー撃ち」をするのが大好きだったという。
なお、「ビーバー」は女性器そのものを意味するスラングで、「ビーバー撃ち」はノゾキを指す当時のMLBの隠語。
クリート・ボイヤーも拙著『最後のクジラ 大洋ホエールズ田代富雄の野球人生』(講談社)に出てくる人格者「ボイヤーさん」とは違って、随分お金にうるさい人物として描かれている。
さらに、当時はヤンキース、レッドソックス、タイガースなど、強豪チームの主力選手が軒並みグリーニー(興奮剤)を服用していたという話が面白い。
このクスリ、いまも昔もドラッグストアで買えるものではなく、禁止薬物に指定されていた。
ところが、メジャーリーガーは誰もがこっそり仕入れるルートを持っていて、罪の意識など小指の先ほども感じていなかった。
このあたりは、昔のオリンピックや自転車ロードレースの世界と変わらない。
バウトン氏の友人の投手が、きょうは大事な試合の先発だからとグリーニーをいつもの4倍飲んだところ、雨で試合が中止になってしまう。
遠征先なので家で女房とヤルわけにはいかず、バーでも女の子を引っ掛け損ねて、「今夜はどうすればいいんだ!」とのたうち回るあたり、抱腹絶倒の面白さ。
この本が出版されるや、ボウイ・キューン・コミッショナーは「この本は野球界を著しく傷つけた。内容もまったく信用できない」と声明を発表。
マントルらスター選手やスポーツ・ジャーナリズムもこぞってバウトン氏を批判し、集中砲火を浴びせている。
しかし、いま読むとはさほどスキャンダラスではなく、むしろ1970年代ならではの牧歌的な雰囲気が印象に残る。
バウトン氏が自分の目的を隠さずに仲間内への取材を続け、自分自身の弱みや家庭の問題までさらけ出しているあたりは、ある種の潔ささえ感じるほどだ。
この本がベストセラーになったおかげで、バウトン氏は作家兼スポーツキャスターに転身。
俳優としてロバート・アルトマン監督の探偵映画『ロング・グッドバイ』(73年)にも出演、フィリップ・マーロウ役のエリオット・グールドを相手に大変印象的な演技を見せていた。
しかし、バウトン氏の物語はここまででは終わらない。
現役時代以上の有名人となった彼は、なお野球への未練断ち難く、78年にカムバックする。
マイナーリーグを渡り歩いて辛酸を舐め、妻とも離婚したあげく、アトランタ・ブレーブスとの契約にこぎつけ、ついに復帰1勝にして現役最後の62勝目を挙げている。
この復活ストーリーはテリー・プルートというスポーツライターが取材してノンフィクションを上梓し、日本でも『カムバック!』(画像下)というタイトルで翻訳版が出版された。
この邦訳版が出た1990年ごろ、早速熱心に読んでいたのが巨人の投手だった木田優夫・現日本ハムチーフ投手コーチである。
木田氏に教えられて私も読み、たちまちバウトン自身が書いた『ボール・フォア』にも興味を抱いた。
ところが、この『ボール・フォア』、ネットにも古本屋にもなかなかなく、たまに見つかると5000円以上もの値がついていて、しかもすぐに売れてしまう。
私がやっと神保町のスポーツ専門古書店〈ビブリオ〉で買ったのは2014年のことで、価格は3000円とちょっとだった。
最近、バウトン氏2冊目の著書『ボール・ファイブ』をネットの古書店で発見し、こちらも早速購入した。
著者とは面識もなければメールのやり取りをしたこともないが、数少ない邦訳版だけに、じっくり味わって読みたいと思う。
2019読書目録
15『ショーケン 最終章』萩原健一(2019年/講談社)
14『頼むから静かにしてくれ Ⅱ』レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳(2006年/中央公論新社)
13『頼むから静かにしてくれ Ⅰ』レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳(2006年/中央公論新社)
12『試合 ボクシング小説集』ジャック・ロンドン著、辻井栄滋訳(1987年/社会思想社 教養文庫)
11『ファースト・マン 月に初めて降り立った男、ニール・アームストロングの人生』ジェイムズ・R・ハンセン著、日暮雅通・水谷淳訳(2019年/河出文庫)
10『平成野球30年の30人』石田雄太(2019年/文藝春秋)
9『toritter とりったー』とり・みき(2011年/徳間書店)
8『Twitter社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』津田大介(2009年/洋泉社)
7『極夜行』角幡唯介(2018年/文藝春秋)
6『力がなければ頭を使え 広商野球74の法則』迫田穆成、田尻賢誉(2018年/ベースボール・マガジン社)
5『OPEN アンドレ・アガシの自叙伝』アンドレ・アガシ著、川口由紀子訳(2012年/ベースボール・マガジン社)
4『桜の園・三人姉妹』アントン・チェーホフ著、神西清訳(1967年/新潮文庫)
3『かもめ・ワーニャ伯父さん』アントン・チェーホフ著、神西清訳(1967年/新潮文庫)
2『恋しくて』リチャード・フォード他、村上春樹編訳(2016年/中公文庫)
1『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』ティム・オブライエン他著、村上春樹編訳(2006年/中央公論新社)