平成最終年の神宮で、平成元年の神宮を回顧する

平成最後のセ・リーグ首位攻防戦、第1ラウンドは巨人が完勝。レフトスタンドの応援団は試合後も大はしゃぎでした。

平成年間の終わりもカウントダウンに入り、試合前に関係者や同業者と雑談していると、この30年間の思い出話になることもしばしばである。
きょうからヤクルト-巨人3連戦が行われている神宮球場は私が初めてプロ野球の試合を取材した球場であり、とりわけ懐かしい思い出が多い。

その初取材のカードもヤクルト-巨人戦だった。
巨人・呂明賜が初スタメンで初出場し、初打席で初本塁打を放った場面はいまでもはっきりと覚えている。

ただし、この試合は昭和63年6月14日と、平成に元号が変わる前年のこと。
ヤクルトの高野光とカープの長冨浩志が息詰まる投手戦を繰り広げた試合も印象深いが、これも昭和時代の話だ。

1989年、平成元年最初にして一番の思い出と言えば、この年7月2日、巨人戦における川相昌弘の活躍である。
藤田元司が監督に復帰して1年目のこの年、6年目の川相は2番・ショートでスタメンに起用されることが増え、徐々にレギュラーに定着しつつあったころ。

そうした最中、このヤクルト戦で第1打席から2打席連続本塁打、さらに第4打席で勝負を決めるスクイズバント。
翌日のスポニチは川相の活躍を1面で報じ、ホームランではなくバントの写真を掲載した。

この試合が「川相と言えばバント」というイメージを決定的にする大きな節目になった。
と、私は拙著『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)に書いた。

藤田監督が退任する年の平成4年7月5日、原辰徳がホームランを打った直後、背後にバットを放り投げた場面も思い出深い。
原さんは引退後に開設したホームページ(現在は閉鎖)にもこの動画を掲載していたから、自分でも結構気に入っていたんでしょうね。

ちなみに、この日の試合は巨人がヤクルトに9-0で完勝。
先発・山口が8回を内野安打1本、無失点に抑える快投を見せ、原監督は「きょうの山口はすべてがよかった」と目を細めていました。

そう言えば、平成元年は巨人が優勝し、日本一にもなった。
当時は選手だった原さんが監督となった令和元年、歴史は繰り返されるのか。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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