ぼくは角幡唯介のファンで、彼の探検ノンフィクションはすべて読んでいる。
『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(2011年)、『雪男は向こうからやって来た』(2012年)、『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(2014年)はいずれも傑作で、読むたびに自分がいかに感激したか、ホームページの旧サイトにレビューを書き綴ってきた。
本書は帯で角幡氏自身が「これ以上の探検はムリ」と語っている通り、四十路に入った年齢からも、〝最後の探検〟と公言している作品。
となれば、読む側としてもこれまで以上に前のめりにならざるを得ない。
本作で角幡氏が挑んだのは、毎年12月以降、4カ月も太陽が昇らない北極圏、グリーンランドのツンドラ地帯である。
この〝極夜地帯〟を2カ月以上徒歩で歩き続け、旅の果てに目の前に昇る太陽は自分の心中にどのような感動を呼び起こすか。
極端に表現すれば、〝極夜地帯〟を歩き続けることで、自分にとって、もっと大袈裟に言えば現代人にとって、〝真の太陽〟とは何かを再確認することになるのではないか。
地球上に人跡未踏の地、つまり地理上の探検の対象となる場所がほぼなくなってしまったいま、こういう独自の意味、自分の人生における目的、さらにそれらを含む人間社会にとっての普遍的なテーマを抱えていることが、角幡探検ノンフィクションの最大の特徴である。
ここに描かれた探検自体は非常に過酷かつスリリングで、延々と闇夜が続くことの重苦しさ、予想外のアクシデントによる死の恐怖など、読ませどころは多い。
ただし、読む側が角幡作品のファンであればあるほど、『空白の五マイル』や『アグルーカ』ほど感動できるかと言えば、かなり個人差があるだろう。
事実上の処女作だった『雪男』も含めて、これまでの角幡ノンフィクションは、探検の意義を読者にしっかり伝えるための言葉が十分に練り込まれており、文芸作品としての格調の高さがあった。
それが、本作では例えば風の音を「ぶおおおーーん、ばさばさどががが」、無くしたはずの橇を発見した感激を「うお、うお、うおーっ!」となどと、擬音や擬声で表現しているところが目立つ。
そのほかにも、アマゾンのレビューで自作を中傷されたことや、新聞記者時代に飲み屋のホステスに金を毟り取られたことなど、何も探検の最中に語らなくてもいいじゃないか、と言いたくなる下世話な話が多い。
いや、実際に探検の最中にそういうことを考えたのだから、と言われればそれまでだが、それでは本書は作家の文芸作品ではなく、探検家の体験記にとどまってしまう。
探検自体の意義や過酷さは十分伝わってくる。
それだけに、『空白の五マイル』のようにしっかり言葉を吟味して綴ってほしかった、という憾みも残るのだ、角幡作品のファンとしては。
2019読書目録
6『力がなければ頭を使え 広商野球74の法則』迫田穆成、田尻賢誉著(2018年/ベースボール・マガジン社
5『OPEN アンドレ・アガシの自叙伝』アンドレ・アガシ著、川口由紀子訳(2012年/ベースボール・マガジン社)
4『桜の園・三人姉妹』アントン・チェーホフ著、神西清訳(初出1900年〜/新潮文庫)
3『かもめ・ワーニャ伯父さん』アントン・チェーホフ著、神西清訳(初出1895年~/新潮文庫)
2『恋しくて』村上春樹編訳(2016年/中公文庫)
1『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』村上春樹編訳(2006年/中央公論新社)