アキさんの告別式

総持寺の正門の奥に三松閣の斎場がある

プロ野球開幕前日の27日、80歳で亡くなった近藤昭仁さんの告別式に行ってきました。
会場は横浜市鶴見区、JR京浜東北線鶴見駅から徒歩10分ほどのところにある曹洞宗総持寺三松閣。

12時開始予定のところ、40分ほど早く行ってみると、受付にはマスコミからスポニチ、報知、日刊、TBS、球界から巨人、DeNAなど、昔馴染みの知り合いがいっぱい。
弔辞を読んだ中西太さんをはじめ、平松政次さん、大矢明彦さん、西武監督・辻発彦さん、ヤクルト打撃コーチ・石井琢朗さん、巨人野手総合コーチ・吉村禎章さん、同三軍監督・井上真二さんなど、故人と縁の深かった野球人も多数弔問に訪れていました。

焼香を終えたあと、旧知の関係者と故人を偲び、しばし昔話。
控え室の一隅には近藤さんがかつて袖を通したユニフォームや、在りし日の勇姿を活写した写真などがたくさん展示されていて、とても懐かしかった。

後列右側に飾られているのは1989年、巨人の日本一パレードのスナップ
近藤さんの隣が正力亨オーナー、藤田元司監督、その左と手前に大洋選手時代のポートレート
近藤さんが選手、コーチ、監督時代に袖を通したユニフォーム

私が近藤さん、いや、あえて当時の呼び方をさせてもらうと、アキさんの知遇を得たのは平成元年(1989年)2月、巨人のグアムキャンプだった。
その年、巨人はリーグ優勝を果たし、近鉄との日本シリーズでも3連敗から4連勝して日本一を達成。

その平成に代わる元号、令和が発表された4月1日、アキさんの告別式は行われた。
ちなみに、この日はアキさんの誕生日でもあり、生きていれば81歳になっているはずだった。

最後に挨拶に立った息子さんによると、アキさんは近年、しばらくパーキンソン病を患い、家族に見守られながら息を引き取られたそうです。
僭越ながら、私も棺に花を供えさせていただき、出棺を見送りました。

アキさんとの個人的な思い出は、明日の東スポ『赤ペン‼︎』に掲載される予定。
謹んでご冥福をお祈りします。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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