『ファースト・マン』

(First Man/2018年 アメリカ=ユニバーサル・ピクチャーズ 日本配給:2019年 東宝東和 141分)

1968年7月、人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ11号船長ニール・アームストロングの半生記。
と聞くと、トム・ハンクスがアポロ13号船長ジム・ラヴェルを演じた『アポロ13』(1995年)のような作品を思い浮かべてしまうが、ああいう大向こう受けするSFエンターテインメントとは一線を画している。

スピルバーグは『プライベート・ライアン』(1998年)で初めて戦場の弾道と銃声をリアルに再現することにより、戦争映画の表現方法に革新をもたらした。
そのスピルバーグが製作総指揮に回った本作では、宇宙船のコクピットと宇宙飛行士の視点を生々しく、というよりはいっそ即物的に描いて、SF映画を見慣れた現代の観客に衝撃を与える。

開巻早々、超音速実験機X-15が猛スピードで上昇している最中、パイロットの視点で描かれたコクピットの描写からこの映画は始まる。
絶え間ない振動と耳障りな機体の軋む音が続く中、実験機は目に染みるような青空を突き抜け、漆黒の宇宙空間が見える大気圏の上に出る。

しかし、カメラはそこに浮かんだ実験機の姿を観客に見せようとしない。
スクリーンに映し出されているのは、テスト・パイロットがコクピットの風防ガラスを通して見ている、彼の視界に切り取られた空だけだ。

このパイロットがライアン・ゴズリング演じる、アポロ11号の船長となったニール・アームストロング。
本作は、アームストロングがのちにジェミニ8号で本格的に宇宙空間に飛び出し、様々な生命の危機に直面しながら、ついにアポロ11号で人類史上初の月面着陸を果たすまで、基本的にはアームストロングの視点に徹している。

アームストロングが操縦していた1960年代の宇宙船のコクピットは、狭く、窮屈で、広大な宇宙空間もごく小さな窓からしか窺い知ることができない。
しかも、いまから見ると、機体に使われている板金もネジもあまりに安っぽく、パンフレットに掲載されていたゴズリングのインタビューによれば、当時でさえ「スパム缶と呼ばれていたそうだ」という。

このスパム缶の中で、『ライトスタッフ』(1983年)の冒頭でも描かれたアポロ1号の悲惨な事故が起こる。
打ち上げ直前にコクピットの中で電線がショート、飛び散った火花が濃縮酸素に引火し、宇宙飛行士3人が窒息死したこの事故を、本作は無慈悲なほど乾いたタッチで描いている。

アームストロングはかつて生まれたばかりの娘を亡くし、自らも(映画に描かれている限りは少なくとも2度)生命の危機を経験、心を通わせ合っていた同僚もアポロ1号の事故で失う。
これがもし自分だったら、宇宙飛行士になろう、月に行こうなどとはもう思わないだろう。

いや、それ以前に、あの狭苦しいコクピットに押し込められるのはもう御免だという気分にさせられる。
本作を観ていて、ぼくと同様、あんなところで死ぬのだけは絶対に嫌だ、と感じる人は少なくないはずだ。

それでもなお月を目指したアームストロングの心境は、映画を最後までじっくり観ていても、結局よくわからない。
主演のゴズリングも監督のデイミアン・チャベスもあえて理屈付けするつもりはなかったようで、徹頭徹尾、ただひたすらアームストロングの即物的視点を貫いており、彼が何を考えていたのかという解釈は観客に任せているようだ。

この手法が成功していると感じるかどうかは、観る側の受け止め方次第だろう。
ぼくはアームストロングというよりゴズリングが格好良過ぎるように思ったけれど、彼の目のクローズアップに惹きつけられたのも確かである。

そのアームストロングに代わり、観客の疑問や感情を代弁しているのが妻のジャネット(クレア・フォイ)だ。
アームストロングが黙々と準備をしている最中、「あなたは子供たちが父親が失うかもしれないと考えたことはないの? そういう可能性があることを、あなたの口から子供たちに説明して。それから月へ行って」とジャネットは言い募る。

そういう葛藤を経て飛び立ったアームストロングの目から見た月面は、これまでのSF映画で再現された月面とは異なる趣を感じさせる。
よく言われる人類にとっての到達点というより、様々な苦悩と葛藤を乗り越えたアームストロングの人生における着地点であるかのように。

帰り際にパンフレットを買おうと売店に行ったら、「いい映画でしたね」と話しかけてきた若者がいた。
「あの月面で拾われた石が大阪万博にやってきたんだよなあ」と、彼は感に堪えないように言っていた。

ちなみに、大阪万博が開かれた1970年、小学2年生だったぼくはその月の石やアポロ11号の司令船を見ている。
映画を観終わったあと、若者の一言のおかげで、そんな当時の記憶がまざまざと蘇ってきた。

なお、アームストロングの次に月面着陸を果たしたバズ・オルドリンは、のちに精神を病んで表舞台から姿を消した。
その経緯を詳しく書いた立花隆さんの『宇宙からの帰還』(1983年、中央公論社)は、ぼくがアポロへの興味を抱き直すきっかけになった本でもある。

採点は85点です。

池袋HUMAXシネマズ、新宿ピカデリーなどで公開中

※50点=落胆 60点=退屈 70点=納得 80点=満足 90点=興奮(お勧めポイント+5点)

2019劇場公開映画鑑賞リスト
2『翔んで埼玉』(2019年/東映)80点

1『クリード 炎の宿敵』(2018年/米)85点


スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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