『イップスは治る!』日刊スポーツ記者・飯島智則

(洋泉社 初版:2018年12月17日 1400円=税別)

私も職業柄、野球選手がイップスになった、という話を聞くことは多い。
本書の著者と同様、何度か取材して記事にしたこともある。

あるチームの主力投手がオープン戦で頭部死球を与え、危険球退場となった直後に二軍落ちし、シーズンが開幕してからもなかなか一軍に上がってこない。
他球団の関係者が「イップスだろう」と話していたことを記事の末尾に1〜2行加えたところ、そのチームで思わぬ波紋が広がった。

首脳陣やチームメート曰く、「事実であっても書くべきではない」「職を失うかもしれないんだから」等々。
その後、この投手は長期のリハビリを終えて復帰、全盛期同様とは言えないまでも、一軍レベルの投球ができるまでに回復した。

また、別のチームで、ある選手が内野から外野にコンバートされた理由をコーチに聞いたら、こんな答えが返ってきた。
「彼はイップスになっちゃったんで、内野手同士の近距離での送球、返球ができないから、外野へ回すことにしたんです」

このときもそのまま記事にしたのだが、チームからは私に対してこれといった反響も抗議もなかった。
いまでも、このチームのユニフォーム組からは「あいつもイップスなんですよね」などという話をふつうに聞く。

このように、一口に「イップス」と言っても、度合、症状、周囲の受け止め方はチーム、当事者、周辺関係者によって実に様々。
スポーツの現場では、「イップス」が「トラウマ」や「苦手意識」と一緒くたにして語られることも少なくない。

しかし、果たして「イップス」とは何なのか。
選手や指導者、私のような取材者も含めて、はっきり「こういうものだ」と語れる人間はそんなに多くないはずだ。

そろそろ、具体的な症例を収集し、科学的なアプローチを試みた解説書が必要ではないか。
とはいえ、おれのような怠け者には手に余るテーマなんだよなあ、などと考えていた矢先、昨年暮れに出版されたのが本書である。

本書が優れているのは、第一に構成である。
いわゆるイップスものの記事というと、まるで闘病記のように選手や指導者の告白から始まるパターンが目につくが、本書は違う。

最初の第1章「イップスとは何か?」に登場するのは、この研究の第一人者、「イップス研究所」の河野昭典氏、トレーニングサポート研究所の松尾明氏。
イップスはとかくうつ病のような心の病と捉えられがちだが、実際はそうではなく、職業性ジストニアのような神経伝達機能の不具合によって生じる症状だというのだ。

となると、旧来の指導にありがちな精神論や反復練習では、イップスを治療することはできない、という以上に、むしろ悪化させてしまう可能性すらある。
イップスに結びついた「神経伝達機能の不具合」がなぜ起こったのか、セラピーによって原因を見つけ出し、それを取り除いて、自分が考えた通りに自分の身体が動くようにする、というのが正しい対処法なのだ、と著者は説く。

第2章「イップスに立ち向かう者たち」、第3章「指導者たちはイップスとどう闘っているのか」では、プロ・アマ双方の現場でイップス克服に取り組んでいる人たちの証言が紹介される。
ここではイップスの増加の一因が昔ながらの誤った指導法にあることが指摘されているが、さりとて昔の指導法を頭ごなしに否定しているわけではない。

イップスを予防・克服するため、普段の指導法はどうあるべきなのか。
著者は数多くの事例や証言を紹介し、神経に不具合を来さないような教え方・言葉の使い方を具体的に挙げている。

読んでいて辛い症例がたくさん書いてある割に、読後感は前向きで、爽やかな印象すら残る。
私にとっては、イップスをわかったつもりでいて、実は何もわかっていなかったことを改めて教えてくれた本。

とくに少年野球をやっている子供達や指導者に一読をお勧めしたい。
あっ、もちろん私のような取材者にも。

2019読書目録

5『OPEN アンドレ・アガシの自叙伝』アンドレ・アガシ著、川口由紀子訳(ベースボール・マガジン社)
4『桜の園・三人姉妹』アントン・チェーホフ著、神西清訳(初出1900年〜/新潮文庫)
3『かもめ・ワーニャ伯父さん』アントン・チェーホフ著、神西清訳(初出1895年~/新潮社)
2『恋しくて』村上春樹編訳(2016年/中公文庫)
1『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』村上春樹編訳(2006年/中央公論新社)




スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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