チェーホフに興味を抱いたきっかけは、4年前に読んだ村上春樹の『海辺のカフカ』(2005年)だった。
作品中に登場する司書の解説を読み、たちまち興味を掻き立てられ、最初に手に取ったのが本書である。
改めて説明するまでもなく、『かもめ』は1895年、『ワーニャ伯父さん』は2年後の1897年に発表されたチェーホフの「四大戯曲」の最初の2本。
チェーホフの劇作家としての名声を決定的なものにしただけでなく、世界の演劇史上においてもいまだに影響力を発揮し続けている古典的名作だ。
最初にこの本を読んでから4年、何度もここに感想を書きつけようとしながら、そのたびに先延ばししてきた。
感想を書くために本書を読み返すたび、異なる印象を覚え、違う感想がわき、何を書いても、実際に文章にした途端、ウソになってしまうような気がしたからである。
とはいえ、いつまでも書かないままにしておくわけにもいかないし、読んだ本がほかにも溜まっている。
そこで、年が明けたのを機に、書けるだけのことを書いてアップしておきたい。
『かもめ』はロシアの田舎、ソーリン家の田舎屋敷で繰り広げられる家庭劇。
敷地内の廃庭で女優アルカージナの息子トレープレフが脚本を書いた芝居が行われることになり、ヒロインを演じる地主の娘、女優志願のニーナが張り切っている場面から幕が上がる。
ニーナとトレープレフは若く、未来があり、舞台に情熱を燃やしているのだが、彼らが演じた劇中劇は見物していた身内の者たちに冷笑されただけだった。
それでも最後まで挫けないニーナの姿は、明るく、健気な半面、どこか滑稽で、愚かしさや寒々しさを感じさせる。
それにしても、未来に絶望したトレープレフが死ぬまで手放そうとせず、戯曲の題名にもなっているかもめ(の死骸)は何を意味しているのか。
このかもめこそ、チェーホフの世界の悲しさ、生命や人生の一断面を象徴しているように思えてならないのだが、何度読んでもかもめは〇〇だ、と断ずるに相応しい答えが見つからない。
『ワーニャ伯父さん』は、長年師事し、信奉してきた教授を見損ない、一方的な恋心を抱いた教授の後妻にも拒絶された主人公ワーニャの物語である。
独りよがりな思い込みに悩み、傷ついたワーニャは、教授セレブリャコーフと先妻との間にできた娘ソーニャに「それでも生きるのよ」と励まされる。
セレブリャーコフ一家の背景と社会的立場も読みどころのひとつで、当時のロシアの社会情勢などが頭に入っていればまた別の興味を持って読むことができるだろう。
これに関しては自分の知識の無さに歯噛みするしかない。
2019読書目録
2『恋しくて』村上春樹編訳(2016年/中公文庫)
1『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』村上春樹編訳(2006年/中央公論新社)