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『空白の五マイル』角幡唯介
2017年02月18日(土)


 副題は『チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』。
 第8回開高健ノンフィクション賞、第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞した著者・角幡唯介の出世作、というだけではこの作品の素晴らしさは到底表現できない。

 著者が本作で挑むのは1880年代、インドの仕立て屋キントゥプによって、イグアス並みの雄大な滝が存在するという伝説が広まったチベットの峡谷・ツアンポー川である。
 単身、この秘境へ挑む過酷な冒険は、著者が探検家、ノンフィクション作家として大いなる成長を遂げる道程でもあった。

 キントゥプが見たという「幻の滝」の存在を確かめるため、1900年代にイギリス人の役人フレデリック・M・ベイリーや探検家フランク・キングドン=ウォード、アメリカ人の登山家デビッド・ブリーシヤーズやイアン・ベーカーが訪れたこの奥地には、2000年代に入ってもなお、「空白の五マイル」と呼ばれる人跡未踏の秘境があった(などという紋切り型の表現はいかにも安っぽくて赤面してしまうが)。
 早稲田大学探検部に所属していた著者は、たまたま池袋の書店で見つけた本でこのツアンポー川のことを知り、たちまち未知の魅力と神秘性に捉われる。

 著者が探検部の友人たちと初めてこの地に足を踏み入れたのは、大学4年だった1998年の夏休み。
 このときは「空白の五マイル」には近寄ることもできなかったが、いずれ必ず自分の足で「空白の五マイル」に辿り着き、そこに何があるのかを自分の目で確かめよう、と決断する。

 大学を6年かけて卒業し、2002〜03年にツアンポー川を偵察に再訪。
 その後、朝日新聞社に入社してからもツアンポー川への想いは著者の体内に巣喰い、日を追うごとに膨れ上がって、ついには朝日を退職、単身で09年の踏破へと乗り出すのだ。

 このツアンポー峡谷では1993年、著者と同じ早稲田大学出身で、カヌークラブのOBだった人物がカヌー下りをしようと試み、転覆、遭難するという痛ましい事故も起こっていた。
 著者はその人物についても綿密な取材を重ね、「自分の中におけるツアンポー川」がいかに自分にの人生にとって重要な存在か、ここを通らずして人生の次の段階には進めない「門」であるか、じっくりと読者に説いた上で、いよいよ「空白の五マイル」へと分け入っていく。

 こうして始まった3度目のツアンポー探検で、しかし、著者は思いもよらぬ事態位に直面、2度も命を落としかける。
 著者はなぜ、ここまでしてツアンポー川を探検することに魅せられ、大新聞社の記者としての人生を抛ち、命をかけてまでこの秘境に挑んだのか。
 
〈濃い緑とよどんだ空気が支配する、あの不快極まりない峡谷のはたして何が、自分自身も含めた多くの探検家を惹きつけたのか。歴史の中に刻みつけられた記憶の像は、地理的な未知や空白などといった今や虚ろな響きのする言葉の中にあるのではない。自然の中に深く身を沈めた時、見えてくる何かの中にこそあるはずだ。
 (中略)丸裸に近い状態で原初的混沌の中に身をさらさなければ、見えてこないこともある。〉

 探検とは、冒険とは何か、という以上に、「確かな手応えを得て生きるとはどういう行為か」という根源的な問いに対する一つの答えがここにはある。
 文庫版も出ているが、親本のハードカバー版には著者自身の撮影した写真が豊富に収録されており、未読の方にはこちらのほうを強くお勧めしたい。

(発行:集英社 第1冊:2010年11月22日 第9刷:2012年6月17日 定価:1600円=税別)

 2017読書目録

8『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』呉座勇一(2016年/中央公論新社)
7『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』大崎善生(2016年/角川書店)
6『うしろの正面だあれ』海老名香葉子(初出1985年/金の星社)
5『この世界の片隅に』こうの史代(2008年/双葉社)
4『これが広島弁じゃ!』灰谷謙二監修(2016年/洋泉社)
3『薬物とセックス』溝口敦(2016年/新潮新書)
2『ミナトのせがれ』藤木幸夫(2004年/神奈川新聞社)
1『誘拐』本田靖春(初出1977年/ちくま文庫)