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甲子園は暑かった
2001年09月1日(土)
○2001年9月号掲載

 甲子園は暑かった。

 8月4日の甲子園練習から取材に参加したが、連日35度以上の気温と直射日光にダメージを受け、たちまちのうちに顔は真っ赤、腕も皮がむけ、目も当てられないような体になってしまった。6年間も内勤生活を続け、生白い皮膚には内心後ろめたさを感じてはいたが、こうも簡単に真っ黒に変貌すると、外勤生活のしんどさを改めて痛感する。

 とくに4日は午前8時から午後5時まで18校の甲子園練習を見ていたら、最後のほうは頭がくらくら、熱中症で倒れそうだった。体力のなさをしみじみ思った。

 代表校の選手たちと同様、我々報道陣も甲子園球場近くに寝泊まりする。

 私は社の仲間とともに尼崎市に滞在した。ホテルは歓楽街の中心地にあり、いかがわしい雰囲気の店が並ぶ。入りたい誘惑にかられないでもなかったが、そうしたい思いを振り切って取材に励んだ

 甲子園に有名人を招いて感想など聞くチームの一員になった。これが結構面白かった。

 将棋の元名人は勝負の厳しさを説き、映画監督は人生の教訓に思い至る。負ければ終わりというトーナメント勝負は、各界の著名人の心に何かを届けているのは間違いなかった。

 決勝で担当した元球児の太田幸司さんもそうだった。今は毎日放送のプロ野球解説者をしている太田さんは49歳。二枚目の面影は残しているものの、すっかり中年の雰囲気である。

 誕生日が6日しか違わない私としては、32年前に延長18回引き分け再試合の敗者になったコーチャンは、高校3年時のテレビ観戦以来、ずっとまぶしい存在だった。今回取材するチャンスに恵まれ、同窓会のような思いであれこれ聞いた。

「あんた、気が優し過ぎてプロで58勝で終わったんでしょ」
 という当方のぶしつけな質問にも、苦笑しながら、
「違うよ。あれが僕の実力。でも、あの決勝のような投球ができれば、もっと勝てたかも」
 と答える。

 台風一過後の決勝が終わると、あたりには初秋の気配が忍び寄っていた。

 編者傍白:尼崎の飲み屋がどうこうなんてことまで書かなくていいのに、上野さんらしいというか何というか。
 ひょっとしたら、本当はそういう店で飲んでいたんじゃないかと勘繰りたくなった。
 太田幸司さんとのやり取りにも、在りし日の上野さんがくっきりと脳裡に甦る。
 そして、ラスト1行の余韻。
 こういう、短いながらにいい記事を読んだ、と思わせる書き手が最近は少なくなりました(注:朝日新聞批判にあらず)