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夏は終わった
2002年09月1日(日)
○2002年9月号掲載

 夏の終わりがいつごろなのかは毎年のことながら判然としないが、高校野球が終わったときに、いつもそれを漠然と感じる。

 汗と涙が混じり合った、負けたら終わりの勝負を取材しているうちに、決勝の日が訪れる。この夏一度も負けなかったチームが誇らしげに深紅の大旗をつかむ姿を見ながら、ふと空に目をやると、入道雲に代わって、秋の雲が尾を引いている。寂しいような、何か忘れ物をしたような、様々な感情が渦巻き、「一つ季節が終わった」という感慨に襲われる。

 季節の移り変わりの中で、夏から秋への時期を最もいとおしむようになったのは、いつごろからだろうか。

 甲子園は今年もいろいろなことを考えさせてくれる場だった。高校球児が監督のロボットのように投げ、打ち、守り、走る。こう書くと、感動など生まれる余地はないように思われるが、誤解を恐れずに言えば、「無私の懸命さ」といったようなものに自然に引き込まれている私がいた。

 個々の球児には当然、ヒーローになって女の子にもてたいという野心はたっぷりあるだろう。審判の判定に我慢ならないと感じたこともあるだろう。監督の意向を無視して、自分のバッティングをしたいと考えたこともあるだろう。

 水面下で渦巻く欲望を抑え、きれいごとに徹する彼らの姿は、本音重視の現代では馬鹿馬鹿しいと映る人もいるかもしれないが、建前重視の時代が残した貴重な遺産にも思えて、何か切ないのだ。

 今夏の主人公は高知の明徳義塾だった。伝説にもなっていくだろう「松井の5敬遠」の一方の当事者が監督を続けている高校が、初の決勝進出を果たし、優勝した。

 監督は男泣きした。勝負から逃げたというマイナスイメージを10年間引きずっていたチームが頂点に立った事実は、その過去が消えることはないにせよ、一つの歴史的出来事だった。

 たかが高校野球、かもしれない。ぼんやりした頭には、様々な球児の顔が浮かんでは、消える。