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〈新潮45〉と私
2018年10月5日(金)


 9月25日に休刊の決まった〈新潮45〉は私の物書き人生にとって、なくなったいまも極めて重要な位置を占めている。
 まだ日刊現代の運動部記者だった1999年、初めて私のノンフィクション作品を掲載してくれた雑誌だからだ。

 36歳だった当時、そろそろ自分の作品を世に問いたいと考えていた私は、原辰徳を素材にした原稿用紙10枚ほどの習作を書き、〈週刊新潮〉の編集者Kさんに読んでもらった。
 そのKさんに〈45〉の編集者Yさんを紹介され、本格的に20〜30程度のノンフィクション作品に取り組むことになる。

 2000年から01年にかけて、断続的に掲載された作品は以下の通り。

 『年収2000万、愛人あり スポーツ・アナの優雅で悲惨な私生活』
 『タツカワはつらいよ』
 『巨人軍広報部はつらいよ』
 『バッピーはつらいよ』

 広島の監督だった達川光男を主人公にした第2作から〈つらいよ〉シリーズになり、01年秋には巨人の投手だった入来祐作を描いた第5作も書き上げていた。
 自分の文体をつかめた、というはっきりした手応えを得たのは、この作品が最初である。

 そのころ、〈45〉の編集長だったHさんが〈週刊新潮〉に移り、私の作品もそちらで掲載したい、と最初に〈45〉を紹介してくれたKさんに言われた。
 ところが、ちょうど掲載が予定されていた時期、アメリカで同時多発テロ事件が起こって、私の作品が載るはずのページはすべてアルカイダやビンラディン関係の記事で埋められてしまった。

 ボツになって少々腐っていた矢先、たまたま飲みに行った六本木のバーで〈週刊現代〉の編集長Sさんに出喰わし、その原稿を読ませてほしい、と言われた。
 その後、この作品が『2001年長嶋巨人の敗戦』というタイトルで〈週現〉に掲載され、思いの外好評だったことから、のちに講談社から出版された単行本の処女作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』へとつながってゆく。

 01年以降、つきあいの途絶えていた〈新潮45〉に突然私の名前が掲載されたのは、15年後の2016年だった。
 拙著『失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』が新潮社が主催している新潮ドキュメント賞の候補作にノミネートされたのだ。

 同年10月号(画像)には直木賞作家・恩田陸さんに選評で望外のご高評をいただき、いたく感激したものである。
 これが縁で〈45〉とのつきあいが再開し、広島の打撃コーチ・東出輝裕を主人公としたノンフィクション、17年の新人王を獲得した中日・京田陽太のインタビュー記事を寄稿。

 次回は『失われた甲子園』以来の長編を、と思いを馳せていた矢先、その〈45〉が不意になくなってしまった。
 原因に関しての詳述はここでは控えるが、休刊に至った経緯が経緯だけに、いまのところ惜しむ声はそれほど聞かれないように思う。
 
 しかし、こういうノンフィクションやルポルタージュの発表の場が失われたのはまことに哀しい。
 決して有名とは言えない私がいま、どうにか食べていけているのも、最初に〈45〉が拙文を掲載してくれたからこそで、もしあの雑誌に作品が発表されていなかったら、これほど著作が世に出ていたかどうかわからない。

 〈45〉の先輩に当たる月刊誌だった講談社の〈月刊現代〉も08年に休刊に追い込まれ、翌09年に創刊された後継誌の〈G2〉も15年までしかもたなかった。
 新潮社にはぜひ、〈45〉に代わるノンフィクションの発表の場としての雑誌を創刊してほしい。

 以上、世の中の〈45〉に対する批判などとは一切関係のない一物書きの駄文である。