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赤坂広報との名刺交換
2018年06月27日(水)


 当ホームページを開設して間もない2008年5月8日、Pick-upに「中日ドラゴンズの赤坂くん」という記事をアップした。
 この赤坂和幸は前年07年秋のドラフト1位で浦和学院から入団、当時将来を嘱望されていた本格派の右投手。

 前日7日にウエスタン・リーグのサーパス神戸(オリックス二軍)戦に先発登板し、二軍戦ながら公式戦初勝利を挙げた。
 年数だけは長いことプロ野球を見ているが、ぼくと同姓の選手が現れたのはこの「中日の赤坂くん」が初めだった。

 2010年には、当時中日の二軍監督だった川相・現巨人二軍監督に「紹介しようか」と言われて、「もっと出世したらこっちから取材をお願いするよ」と答えたものだ。
 いずれ赤坂が一軍の主力に出世したら、彼のグッズを買って「赤坂様」という宛名入りでサインしてもらおうと、そのころは半ば本気で考えていた。

 しかし、赤坂は伸び悩んだ。
 投手としては芽が出ず、一軍で1勝も挙げられないまま、2010年に外野手へコンバート、と同時に支配下選手から育成契約に切り替えられたところに、首脳陣と球団のシビアな評価が表れている。

 赤坂はその後、黙々と努力を続け、打撃でも結果を出し、14年に支配下選手に復帰。
 翌15年にはナゴヤドームでの広島戦と、これも私にとっては妙な縁のあるカードで、野手として初の一軍公式戦出場を果たすや初安打初得点を記録、さらに初のヒーローインタビューまで経験した。

 この調子ならグッズがつくられるのも近いか、と期待したのだが、その後はケガに泣いて17年に戦力外通告を受ける。
 その年のシーズンオフ、これも縁を感じるマツダスタジアムでの12球団トライアウトに参加するも、獲得を打診する球団はなかった(ちなみに、このトライアウトには元巨人育成選手、川相二軍監督の次男・拓也も参加している)。
 
 こうして、ちょうど10年で選手生活にピリオドを打った赤坂くんは、今年から広報担当になった。
 きょう、私が神宮球場近くのコブシ野球場へ取材に行き、中日の山田啓輔広報部長に挨拶すると、突然部長が「おーい、赤坂! 親戚を紹介するぞ!」と言い出し、初めて名刺交換をした次第である。

 赤坂広報「赤坂さんとお呼びしてよろしいですか?」

 私「もちろんです」

 赤坂広報「じゃあ、赤坂さん、よろしくお願いします」

 私「ぼくは何て呼んだらいいのかな?」

 赤坂広報「やっぱり、赤坂さんでお願いします」
 
 なお、赤坂広報がよくインタビュー取材に立ち会っている松坂大輔からは、「サカス」と呼ばれているそうです。

Number965
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